こんにちは
ワタシ開花カウンセラー
リーラ ミキ です。
7月は
お馴染みの千恵子さんから^^
「トラウマケアとゲシュタルト療法」
を学びました。
「未完了の感情は、完了するまで時空を超えてやってくる」
だからこそ
ゲシュタルトセラピー(トラウマセラピー)の必要性、重要性を、あらためて感じる2日間となりました。
ゲシュタルトセラピーに出逢ったなら、ホントウに!楽になれるし
トラウマは、時間はかかったとしても、少しずつだとしも、確実に癒され、少しずつ完了へと向かっていけるもの。
だから
トラウマで悩み苦しんでいる方は、ぜひゲシュタルトセラピーを体験してみてほしいと切に思う。
千恵子さんからは以前にベーシック2回目で
〇変容の逆説
〇両極性(アンビバレンス)
についても学ばせていただきました!
千恵子さんとパチリ^^
私、ワークで泣きはらした後で目が腫れてるw
![](http://watashi-hiraku.com/wp-content/uploads/2023/07/IMG_20230704_173908.jpg)
〇トラウマは、再体験しなくてもいい。
〇神経系にアプローチしていけばいい。
それを初めて知った時、救われたように感じました。
私自身もトラウマ体験はいくつかあって
それを今ここで、もう一度再体験するのは決して心地よいものではないと知っているから。
それは、どちらかというと不快を伴い、時に辛くて苦しい、痛くて耐え難い体験で
”もう一度”感じるということは酷すぎるからです。
どうしても、繰り返しのセラピーは必要となってくるけれど
「身体の感覚を感じる、感じていくこと」でトラウマは未完了へと向かっていく。
トラウマによる生きづらさからの解放は可能✨
![](http://watashi-hiraku.com/wp-content/uploads/2023/07/IMG_20230704_093935.jpg)
あなたには
たった一人でいいから
人生で「安心・安全」を深く感じられる人はいますか?
トラウマは
出来事の中にあるのではなく
神経系の中にあるので
トラウマを癒していくには
「安心・安全」という感覚(リソース)が
必要かつ重要な要素となります。
リソースは、誰しもにあります。
「私にはない!」という人にも
必ず、あります。
なぜなら、
リソースがあったからこそ今ここまで生き延びてこれたし
リソースがあるからこそ私たちは生きていられているからです。
それを今回、深く体感で知ることができ
「クライアントさんの中には必ずリソースがある」と、疑うことなく信じられる私に繋がったことが
とても嬉しく、とても有難かった✨
私が、一緒に
あなたのリソースを見つけます。
あなたが望むなら
「私」が、あなたのリソースになります。
そして
そのリソースと共に
トラウマを癒していきましょう🍀
過去を変えることは必要でも可能でもない。
今を生きることを学べば、過去は問題ではなくなり、一瞬一瞬が新鮮で創造的になる。
「私たちはただ、現在の症状を癒して前に進めばよいのです。
癒しの瞬間は、さざ波のようにあらゆる方向へ広がっていきます」
by ピーター・リヴァイン
![](http://watashi-hiraku.com/wp-content/uploads/2023/07/IMG_20230704_173905.jpg)
【仲間のワークからの気づき】
・私は子どもの頃、母親には甘えられなかったけど、おばあちゃんには甘えられていた!と思いだした。
一人で自転車に乗って、おばあちゃんの家によく行っていた。
誰もいないおばあちゃんの家で、一人でボーッとする時間がすごく落ち着いたこと。
おばあちゃんの家で普通の家ではできないような(笑)いろんなことをして遊んだこと。
おばあちゃんの家の壁に落書きして遊んでも怒られなかったこと(あの時も私は、ゆるされていた)
いろいろを思い出し、「おばあちゃんの家」が子どもの頃の私にとってリソースだった、と気づいた。
そして、「九州の大自然」も、幼き私を大きく優しく支えるリソースだったんだ、と体感で気づいた。
だから、ひとりぼっちでも生き延びてこれたんだと気づいた時、感動して、涙が溢れた。
・「あぶれもん」と戯れたらいい、と、Kちゃんのワークで「あぶれもん」と選んでもらえて(笑)その瞬間、心底から嬉しさを感じている自分に気づき、「私はそれでいいし、私がそれがいいんだ」って体感で腑に落ちた。(そういえば、Kちゃんの「ゲシュタルトに来ている時点で”あぶれもん”だよね」ってウケたなぁ笑)
私は、私で居ながら、一緒にいられる関係性が心地いい。
私はどこか集団に馴染めない自分をダメだと思っていたし、なんとか馴染もうともしていたけど、そんなことはしなくていいし、そんな必要はない。
私は、私みたいな「あぶれもん」と戯れたらいいんだ♪
そう気づいたら、深いところでホ~ッと安堵した。
やっと、ホントウに、そんな自分、そのままの自分を受け容れ、ゆるせたような気がする。
![](http://watashi-hiraku.com/wp-content/uploads/2023/07/received_836711224750097-1024x843.jpeg)
・苦しい時、辛い時、
気づいていなかったけど、私の幸せを願ってくれている人はいた。
気づいていなくても、私の幸せを願ってくれている人はいる。
それは、意識で実感がなくても
身体はちゃんと感じていて、わかっている。
・人生は、試練だけでなく、リソースも与えられている。
だから、大丈夫、なんだということ。
・自愛がすすむと、孤独も楽しめるようになる。孤独の甘美。
「自立して孤独」って悪いことじゃない。
群れているのは「依存」なだけのこともある。
・世間から外れた私(苦しみ)があるから、ホントウの私を生きられる。
ホントウの自由を体験できる。
・自分の優しい手は、人のためだけでなく、自分のためにも使おう。
「手」は繋がるツール。
・みんなと合わせなくていい。
妄想じゃないところで、私は人と繋がれる。繋がりたい。
母親だから、とかの役割を越えて、そんなのは関係なく
私は、私のままに、
今ここの自分ができること、したいこと、心地よいと思えることを
私は、私に、体験させてあげたい。
「自由に生きたい」
その私の想いを叶えてあげようと、あらためて誓った。
・ずっと繋がっている必要はない。
瞬間、繋がればいい。繋がれたらいい。
それでいい。それが素敵。
繋がりは、瞬間で伝わる。
![](http://watashi-hiraku.com/wp-content/uploads/2023/07/IMG_20230707_203435-1024x768.jpg)
【私自身のワークでの気づき】
今回、思いがけず、父の死に際を体験体感することができました。
この日は父の月命日だったと後から気づき、
「やっぱり、あの会場に父はいたんだなぁ」っていう想いが増して
その必然と、私の感じ知ったことは真実なんだという確信も増しました。
ワークをうけてすぐの感想はアメブロで綴っています。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230706/10/furin-gift/ae/30/j/o1176088215308791524.jpg)
そもそもは、
私の中に「どうせ愛されてない」がある、というところからワークが始まり
私がふと口にした「裏で裏切ってる」という言葉を千恵子さんが拾ってくださり、それを感じてみました。
身体の両端が熱い真っ赤な血で煮えたぎっているような感覚があって
それをリソースと行ったり来たりしていたら
私の細胞たちがピンク色になってシュワシュワ動きだしているイメージが湧いて
それを感じていたら、なんとその細胞たちが桜になった!
そして、その弾け咲く桜を感じていたら「父」がでてきました。
私にとって「桜」といえば「父」
・・
父が入院する病院へ向かう途中
咲いている桜を見上げながら
「桜を見るのは、これが最期かな」とつぶやいた父。
その年の夏に父は亡くなり
本当に、その時の桜が、父にとって最期の桜となりました。
・・
そんな体験をシェアしたら
「亡くなった父になってみる」という流れになりました。
![](http://watashi-hiraku.com/wp-content/uploads/2023/07/IMG_20230707_203338-1024x768.jpg)
亡くなる直前の父になってみるのは初めてのことで
なりきれるのか?って一瞬不安がよぎったのだけど
父のベッド(座布団)に横たわり
ゆっくりと、その時の父になりきってみたなら
呼吸が自然と荒くなり、徐々に息をするのが苦しくなっていきました。
こんなに苦しかったのか!って思いました。
そして、身体はすごく苦しいのだけど、意識は正常に働いている感覚があって、周りの声を冷静に聞いていたし、周りのヒト・モノ・コトもみれていたということにびっくりしました。
呼吸がいよいよマックス苦しくなった時
ぶわ~~っと、こみあがるエネルギーがありました。
その瞬間、その時の父の声なき声が、私の口をついて力強く溢れ出ました。
「もういい!」
「俺は、もういい!俺のことは、もういい!」
「自分たちの場所へ帰れ!」
「自分の道を行け!自分を生きろ!」
脳裏にポッと浮かんだ言葉は『解放』
最期の時、父がカッ!と目を見開いたあの瞬間
私たちを自分から離し、追い払うかのように
父は私たちに「行け!」って言っていたんだ。
全エネルギーを使い切り
「生きろ!」って伝えていたんだ。
命を全うした父。生ききった父。
それを体感で知って
最期のメッセージに出逢って
言語化しようのない感情、涙が溢れまくりました。
身体全体が熱くビリビリ痺れて震え
嗚咽、発狂に近いぐらいに、泣きました。
泣いて、泣いて、泣ききって
ふと気づくと、父の気配が消えていました。
そして、父は
私の中に青い芯となって「いる」って感じました。
私の中に、父はいる。
![](http://watashi-hiraku.com/wp-content/uploads/2023/07/IMG_20230704_155710.jpg)
まさにこの色の芯が真ん中にある感じ。
私の真ん中にある、真っすぐな青い芯(父)を感じていたら
「裏切る」とか
そういうのは大したことではない、って思えました。
それは所詮、“外側のもの”
それは、”本質ではない”
そう、瞬間的に気づき
ハラハラと憑き物がとれたかのように
ふぅ~っと楽に
す~っと軽くなりました。
![](http://watashi-hiraku.com/wp-content/uploads/2023/07/IMG_20230706_105406-1024x768.jpg)
本質にふれたなら
「裏切られた」
「信じられない」
「愛されていない」
・
・
それらは、どうでもよいことなんだと、わかる。
本質を感じてしまったなら
囚われ続けていたことが、どうでもよくなってしまう。
相手のゆるせない言動は、相手のコト
それは、私のコトではない
相手のコトを、私が持ち続ける必要はないし
相手のコトに、私が囚われ続けることも意味がない
ということが、体感でわかってしまう。
BeingとDoingを切り離し
それらを自然に受け容れられる、ということが起こる。
ホントウに、ゆるすことができ
感謝と共に、手放すことができる。
父に対する感情を出し切った!!って感じがしています。
そして、完了したなぁって思えています。
ほんと、ゲシュタルトのおかげさま。
きっと、そのためにもゲシュタルトに出逢ったんだなぁ~。
私は、いつどんな時も、父に護られていました。
私は、ちゃんと、父に愛されていました。
そこには、「愛」がありました。
お父さん、ありがとう✨
![](http://watashi-hiraku.com/wp-content/uploads/2023/07/IMG_20230704_174007.jpg)
自分のワークが想像を超えていて、過呼吸みたくなったし(笑)
その後の仲間のワークは途中で気づいたら寝てしまっていました。
そして、ハッ!と目が覚めた時
「生きてる」って思いました。
「私は、生かされている」
「私は、まだ生きている」
そんな声が湧いた時、
「ちゃんと、生きよう」って思いました。
父が、その命を使い切ったように、全うしたように、
私もこの命を生ききろうって思いました。
死を感じ、死に意識的になると
生が輝き、生が意識的になるって本当だなぁって
今更ながら、感じています。
![](http://watashi-hiraku.com/wp-content/uploads/2023/07/IMG_20230707_204203-1024x768.jpg)
![](http://watashi-hiraku.com/wp-content/uploads/2023/07/IMG_20230726_173149.jpg)
本質は「愛」
どんな人にも
どんな事であっても
そこには「愛」があります。
それを体感で知ったなら
何があったとか、なかったとか
ホントウは、関係ない
ということに気づき、わかります。
そして、そのプロセスを
ゲシュタルトのワークで体験体感できるということを
今回ダイレクトに腑に落とすことができました。
やっぱり、やりたい!
グループでのゲシュタルト
グループプロセスを、私もやってみたい。
そんな気持ちが、大きく膨らみ
迎えた8月の日本ゲシュタルト療法学会。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230718/09/furin-gift/b1/ef/j/o1229092215313757093.jpg)
グループプロセス
やる!!
って、心が決まりました✨
来年、モニターから始められたらいいなぁと思っています。
今、こんな私に出逢えたのは、
ゲシュタルトベーシックを共に学んでいる仲間のおかげさま。
みんな、ありがとう✨
ベーシックの学びも、次回の10月がラスト。
なんかすでに寂しさを感じてる~
![](http://watashi-hiraku.com/wp-content/uploads/2023/07/received_229988139913943-1024x768.jpeg)
![](http://watashi-hiraku.com/wp-content/uploads/2023/07/received_517104433884408-1024x768.jpeg)
ひとりもいいけど
誰かと一緒もいい。
”あぶれもん”な私が好きだけど
”仲間と共にいる”私も好き。
どっちもいいし
どっちもがあるからいいんだね。
私は欲張りだから^^
どっちもを、生きたいし
どちらも、体験したい。
一度きりの人生なんだから
それでいいし
それがいいよね!って思う。
”あぶれもん”同士の?笑
グループプロセス
来年、創造するぞ~~♪
気になる方、興味がある方
待っていてくれたら嬉しいです^^
![](http://watashi-hiraku.com/wp-content/uploads/2023/07/received_830591431912652-1024x768.jpeg)
コメント