こんにちは
ワタシ開花カウンセラー
リーラ ミキ です。
ゲシュタルト療法ベーシック2回目の2日間
今回は田中千恵子さんから学ぶことができました。
田中千恵子さんは元ANAのキャビンアテンダントで、様々な心理療法、理論、ボディーワークを学ばれてきた方。
その中で、ゲシュタルト療法(ももちゃん)に出逢ったその瞬間ピタッ!と来たのだそう。
それ以来、ゲシュタルト療法を多くの人に知ってもらいたい、広めたいと精力的に活動をされています。
千恵子さんが「心理療法は誰から学ぶか?だと思ってる」とおっしゃってたけど、深く同感。
私の今までの学びは全部それを基準というか、それが前提にあってこそだったから。
私は「何を」学ぶかも興味あるし知りたいけど、なにより「その人」に興味があるし知りたい!が先にあったし、それは今もそうだなぁって。
ゲシュタルト療法ベーシックの学びを決めたのもまさにそうで、様々な「人」に出逢えるから、っていうのも大きな動機のひとつでした。
だから今回は千恵子さんから2日間学べる♪千恵子さんはゲシュタルトをどう表現し、どんなワークをするんだろう?って、ワクワクしかなく、この日を迎えました。
千恵子さんからは、
〇変容の逆説
〇両極性(アンビバレンス)
について学びました。
自分でない者になろうとする時ではなく
ありのままの自分になる時に変容が起こる。
まさに、変容の逆説。変化のパラドックス。
「変えよう」「変えたい」と思うほどに変われないのよね。
「今の自分のぜんぶを受容すること」
まずはやっぱりそこなんだなぁって、ゲシュタルトの変容の逆説的理論に出逢うたびに思います。
だからゲシュタルトでは
「今の自分を十分感じること」
「今、何に気づいているか」
基本これだけ、ってぐらいに、それを大事にしている。
何とかしようと頑張らなくていい。
ただ、気づいていくこと。
ただ、気づいていればいい。
気づいたからって「こうしなければ」もいらない。
気づいて、
「今、何を感じているか」
「今、何に気づいているか」
それらを現実世界で観察していけばいい。
今ここのありのままの私を感じ、気づいていくだけでいい。
「ただ、私であること」
それこそが変容を起こすのです。
ランチにお寿司を食べたのだけど、私、生もの得意ではないんですよね。
でもこのどんぶりは私の好きなマグロとアナゴだったから美味しくいただけて大満足でした♡
同じ生ものでも、得意不得意はあるし、嫌い好き、美味しい美味しくない等がある。
それと同じように、
この世界のヒト・モノ・コト
すべてに、
両極があるってこと。
人間は、両極性を生きているんですね。
それがホントウに腑に落ちたなら、
自分の中に、相反する自分を見つけても、感じても、
そんな自分を無駄に責めたり、悩んだりしなくなります。
それは目の前の人に対しても同様に。
誰もがみな、何かしらの葛藤を生きてる。
みんな、同じ。
私もそうだよ。
あなただけじゃない^^
身体に注目するペアワークは、とても楽しかった!
目の前の人とコンタクトできると、自然とゆるみ笑顔になっている自分に気づきました。
人と繋がること、人と繋がっている瞬間がやっぱり私は好きなんだなぁと再認識しました。
そして、
その嬉しい~楽しい~感覚を、上半身だけで感じている自分に気づき、気づいたと同時に自然と下半身をさすり上半身で感じている感覚を下半身にも流し体験させてあげようとしている私に気づき、それが嬉しかった!
その行動は、先日修了したソマティック含め、今まで「ふれるふれられる」の体験を積み重ねてきたからこそだと思っています。
体験するって変化に繋がりますね。
実際に、下半身にふれていくほどに、上半身で感じていた感覚は下半身にひろがっていき、みるみる癒しの感覚もひろがっていきました。
ふれるって、やっぱりすごい。
今回のペアワークで、私は普段、上半身だけで快を感じていて下半身ではそれを感じていない、下半身に意識が向きにくいかも、ということに気づけて嬉しかった。
自分に気づいてあげられるってホント嬉しい。
千恵子さんのワークは、母性溢れるワークで、とにかく温かくて優しい。
どこまでも待ってくれる。
ただただ聴いてくれて、寄り添ってくれて、受容してくれる。
千恵子さんのワークには「安心・安全」のエネルギーが半端ない。
あまりにも心地よくて、途中寝ちゃったもんなw
今回、私はワークしなかったのだけど、仲間のワークからの気づきはたくさんあったので、備忘録的に綴っておきます。
**
・過去、それが愛だとなかなか受けいれられなかったことも、時を経て、気づきを積み重ねた先に、「あれは愛だったんだなぁ」って、体感で感じられるようになれる。
・小さい頃にリソースがあると大きい。それは何より大きなリソースとなり、その人にとっての安心感、土台となる。(この気づきの晩、子どもたちと楽しく夕食を食べながら「今この時間、体験が子どもたちにとってのリソースになるといいなぁ」って感じている私がいた)
・亡きおじいちゃんに逢えた。おじいちゃんとの思い出がたくさん蘇った。
私は可愛がられ、愛されていた。今も愛されているし、護らていると感じられた。
おじいちゃんと過ごす時間は、心の支えだったんだ~と気づき、泣けた。
「みきは、みきのままでいい」
そんなメッセージをうけとった。
・命あるものは、いつか必ず終わる。
でもその存在はなくならない。私の中に今も常にある。
・手放せたと思っていても、手放せていないことってある。
自分ではなかなか気づけない。
・ちゃんと終わらせること。
そうじゃないと次に行けない。
・「娘にきょうだいをつくってあげたい」という思いで息子を産んだことを思い出し、それは娘に寂しい想いをさせるためではなかったということに気づけて、何かがゆるみフラットな感覚になれた。
・父性のエネルギー、母性のエネルギー。どちらも大事。どちらも必要。
その感覚が内側にあると、大丈夫のエネルギーに繋がる。
・身体の反応は大事なセンサー。
・自分にまつわる関係性って、なかなかみえないし気づけない。
・人に近づくことで、ふれあうことで、ホントウに気づける。
**
あらためて、
私の中にリソースがあるから、私は生きていられているんだなぁ
私の中のリソースを感じられているし、気づけているから、私は私のままに生きることが今できているんだなぁ
って、実感しました。
そして
私も、誰かにとってのリソースという存在になれたらいいなぁって、またまた思っている自分に気がつきました。
私が貢献する歓びってそれに通づるしね。
あなたに「だいじょうぶ」を届けたい。
あなたに「安心」を感じてもらいたい。
そんな想いで、私はいつも今ここにいます。
あなたが、もし、
「大丈夫だと思えない、思いたい」
「安心を感じられない、感じたい」
なら、
勇気をだして、私と繋がってください。
私の中に溢れんばかりにある
「だいじょうぶ」と「安心」
あなたに循環します✨
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