こんにちは
ワタシ開花カウンセラー
リーラ ミキ です。
YouTubeの予言通りw
4月に入ってすぐ「試練」がやってきました。
娘の看病からのコロナ感染( ;∀;)
いやぁ、、思ってた以上にきつくて、しんどくて、毎日ぐったりメソメソしてましたw
体調が悪い時って、なんであんなにも人の優しさが染みるのでしょうね?
息子に頭を撫でられたり、「大丈夫?」って声をかけられたり、それだけで号泣してましたww
頭は割れるように痛く、喉は焼けてるかのように熱くて、唾を飲み込むのも痛く、なので食いしん坊の私なのに食欲も無くなって、全身なんか痛いし、だるいし、なんもしたくない、なんもできない。
家事とか必要最低限のことだけをなんとかこなし、あとはず~っと寝てました。
そんな状況になって、
「な~んもできない自分」を、感じ続けることになった私。
体調を崩した始めの頃は、私の本質的な部分の弱さ、人間的癖がネガティブな言葉となって私に注がれました。
「あれもこれもしたいのにできない、できてない」って自分を追い込み塞ぎこむ。
そんなできない自分を情けなく思ったり、不甲斐ないと思ったり、
全く何もできていないわけではないのに、「なんもできない、できてない」って一般化して、自分にダメ出しして悲観する(弱ってると出るねw)
子どもたちにしてあげたいことができないことに、歯がゆさと申し訳なさを感じて涙したりもして、
あ~私は子どもたちに愛情を行動で示すことが歓びなんだなぁってあらためて気づいたり、逆に、なんか重い母親になってないか?って自己点検してみたりw
子どもの成長をしみじみ感じたよ~
母を気遣い、いろいろをやってくれたり、フォローしてくれたり、ほんと有難かった。
「なんもできない」=「役に立たない」=「価値がない」っていう紐づけが、うっすらまだ私の中にあることに気がつきました。根深いねぇw
その構図が当たり前のように作動して、その瞬間、布団の中でいわゆる無価値感を感じては胸のあたりがざわざわチクチク痛かった。
でもね、
すぐに、こんな言葉が私の中からポッと出てきたの。
「何もできなくても私の価値は何ら変わらない」
私は、私から発せられたその言葉に勇気づけられ
「そうだよね。そうだったよね」って、ニュートラルに戻れたのでした。
自分から発せられた言葉って、説得力があって、パワーがある。
そして、体験を通じてタイムリーに受けとった言葉ってチカラがある。
それをあらためて実感しました。
「私は何もせず、役に立たなくとも、価値ある存在」
そんな風に思えるワタシが内側に育っているということに気づけたことは、試練からのギフトでした。
嬉しかった^^
それはもう、ことあるごとに、
「何かができなくても、役に立たなくても、私の価値は何ら変わらない」って、
何度も何度も、私自身にその言葉を、声を、かけてあげてきたからこそだと思っています。
「女性は、ただそこにいて、笑っていたらいい」
そう、ご縁ある方にお伝えしていることも影響としてありますね^^
その言葉って、体感、実感と共にお伝えしているのだけど、
私も生身の人間だし、どこまでいってもエゴある人間だから、
ホントウは、私が私自身に言ってあげたい、自分に一番に伝えたい言葉でもあるのだと思います。
言葉のチカラって偉大です。
自分にかけている言葉。
その言葉が、今のあなたを創り、これからのあなたを創る。
もし、あなたの中にも、
「なんもできない」=「役に立たない」=「価値がない」の構図があるならば、
それが作動するたびに
「何もできなくても、役に立たなくても、私の価値は何ら変わらない」って言葉を、
あなた自身に優しく声をかけてあげてください。
あなたの心身はちゃんと聴いています。
あなたの魂はちゃんと反応しています。
いざという時、ホントウの意味で、あなたを助けてくれるのは「あなた自身」だから。
試練の時、一番近くであなたを支え、チカラとなってくれるのは「あなた」でしかないから。
言葉のチカラを味方にして、
内なる「あなた」を育てましょう。
コロナになって、匂いも、味も、全くしなくなってね、
当たり前は当たり前ではない、を痛感すると共に、
あらためて「感じる」って、生に直結しているなぁって思いました。
それは、五感が閉ざされてから、生きていて張りがないというか、無気力になっている自分に気づいたから。
今ここに感動がないの。心が動かない。重くどんよりしている感覚。
このままずっと嗅覚、味覚が戻らなかったらって想像したらゾッとして、未来を悲観したもん。
それだけ、
感覚って、幸せにダイレクトに直結しているのだということ。
私は感覚をひらいていくことをサポートさせていただいているので、それを実感できたことは貴重な体験でした。
でね、五感が正常に機能しなくなると、人って「死」を意識し始めるんですね、
「あ~このまま死ぬの嫌だなぁ」って、ある時ふと思い始めて、
どんなふうに死にたいかなぁって考えたり、
「死ぬまでに何がしたい?何をしてから死にたい?」なんて問いが生まれたり、
なぜだか気づいたら「死」についてあれこれ思い巡らし考えていました。
結局、ざっくり大きくまとめると「五感でいろいろを感じたい」っていうのが行き着いた先の答えで、
そして、やっぱり、
「大切な人と共に過ごしたい、大好きな人と一緒にいたい」
そんな想いが、湧きおこりました。
そして、その時のエゴは、
「まだ、これをしていない」
「まだ、あそこに行っていない」
「まだ、これを伝えていない」
って、たくさんの「まだ」を訴えてきました。
これらを体験することが今世でできなかったなら、「後悔」に繋がるのでしょうね。
私は、出来得る限り、後悔なく、お空に還っていきたいので、
体調が戻って元気になったらすぐ、その時思った「まだ」をいくつか遂行しましたよ☆
死を意識したなら、今やるべきこと、というか、今やっておきたいことが明確になりますね。
それは、自分を知り、自分を生きることにも繋がっていく。
そんなタイミングで、ある方のワークの気づきにふれ、
ふと、私が小学校3年生の頃、学校にあった「かいせんとう」という遊具から落下し(傘みたいな形でぐるぐる回る遊具。知ってるかな?)顎の下を7針縫う怪我をしたことを思い出しました。
その時の私は、周りの友達がキャーって叫ぶほどに顎から血を垂れ流していたらしいけど、当の本人は痛みを感じないし「え?」って感じで、無感情、無感覚でいたのを覚えてる。
怪我が深かったからこそ麻痺していて感覚がなかったのかもしれないけれど、
ある方のワークの気づきから、
あ~私はあの頃、普段、日常で、痛みを感じないように生きていたからだ、って、気づいてしまった。
私は、いろいろを閉ざして生きることを自己決定した子どもだったから、
きっと、怪我の痛みも同様に、だったんですね。
「人は、ホントウを、巧妙に隠す」
なぜって、そうしないと、生きていけないから(と信じて思い込んでいるから)
それは、自分の命を守る、生存戦略、生存本能なんですね。
だから、悪いことではないのだけど、
そんな風にずっと生きてたら、ホントウは、苦しいね。
自分の命が、いよいよ危うい、ってなった時、
人は、ホントウと、繋がりやすい。
私が今回の試練で繋がったホントウ、
それは、夫の不倫発覚から死のうと思ったあの頃と同じ
「生きるチカラ」でした。
このまま終わるわけにはいかない
このままで終わるなんてありえない
そんな闘志にも似た感情、本能的エネルギー
そのエネルギーにふれた時、
「ホントウは、こう生きたい!」って
人は、ホントウに、立ち還ることができる。
その時、つながるべき、思い出すべき、ホントウに。
それは、
「自分を生きる」っていうシンプルなことでもあるんですね。
あなたは、どんなホントウを、巧妙に隠してる?
あなたは、ホントウは、何をしたい?
あなたは、ホントウは、どう生きたい?
そんな気づきもあって、
先日、5月22日のBe liveリアルイベントの内容の打ち合わせをしたのだけど、
「死生観」をひとつのテーマとして、みなさんと繋がろう♪と決まりました。
死というテーマを真ん中に、他者を知り、自分を知ることで、今ここにある当たり前ではない生(命)がキラキラと輝き躍動しますように。
そんな願いと意図をもって、ご縁あって繋がったみなさんとリアルイベントの場を創造していきたいと思っています^^
イベントのために私、試練があったのかもなw
リアルイベントお申込みいただいています♪
わざわざ遠方から参加される方もいらっしゃるみたい!
ありがとうございます^^
まだお席あります。
ぜひ、あなたも繋がりましょう✨
女神メソッド1期も、お申込みいただいています♪
ご縁に感謝✨
「今までひととおりを学んできての総まとめとして。自分へのスペシャルご褒美として参加します」とのこと。素敵^^
あなたもご一緒しませんか?
コメント