こんにちは
ワタシ開花カウンセラー
リーラ ミキ です。
ゲシュタルト療法ベーシック6回目の2日間
今回も大好きな渡辺トヨ子さんから学ぶことができました。
トヨ子さんにはもう何度も学ばせていただいています。
有難い限りです😊
初日の朝、驚くほどに心穏やかで「有難い」に溢れていて、それでいてフラットな感覚でいられている私がいました。
それは、トヨ子さんだから、っていう安心感もあったのかもしれないけれど
創造したいと決めていたカタチがとりあえずのところまでカタチとなり、
内側から生まれた新たな変化(読誦)を通して気づいたこと感じたことを、母に伝え、共有し、感謝と歓びを共に分かち合えたことが大きいように感じました。
内なる平和を生きるには、
「自分との約束」を守ること
「自己発電」「自分発信」で生きること
そんなことを今、改めて感じています。
今回、トヨ子さんからは
〇神経症のメカニズム
~コンタクトバウンダリーの障害~
について学びました。
ここでいう神経症とは、病気ではなく
「自分を表現しきれていない人」のことを指します。
パールズ自身、
「”神経症”という言葉は大変よくない。私もこの言葉を使うが、実際には”成長障害”と呼ぶべきだ」と述べています。
「”自分で”選択をして、”自分で”生きているか?」
そうあらためて自分自身に問うた時、一瞬考えてしまう方が多いのではないか?と想像します。
今回、神経症のメカニズムを学び、
「誰もがコンタクトバウンダリーの障害を生きている」
そうしみじみと深く感じ入ったからです。
ゲシュタルト療法では、
人の心と行動の不自由さを接触境界(コンタクトバウンダリー)の機能不全であると考えます。
接触境界とは「私」と「私以外のもの」を隔てる境界のこと。
【コンタクトバウンダリーの5つの障害】
〇鵜呑み(イントロダクション)
~境界を越えて自分の中に入り込んだ他人~
・トラウマとセットで入り込んでいることが多い。
・私たちは無意識に飲み込んでしまっている。
そして、飲み込んだものを咀嚼せず、丸飲みにしてしまっている。
→これにさえ気づいていない人が多い。
・「~しなければならない」「~してはいけない」「~するべきである」
これらの言葉は自分の考えではなく、親や環境から取り込んだもの。
このような鵜呑みばかりで生きていると、それだけで手一杯となり、自分を発展させ自分自身を表現することが難しくなる。
・鵜呑みは一旦吐き出して、「私は私」で生きる。
〇投影(プロジェクション)
~自分の中身を他人に預けてしまう~
・最も多く投影する特質や感情は「否定的なもの」であるが「肯定的なもの」も投影する。
・責任を他人や環境になすりつけることで、受け身で消極的な犠牲者のような役割を選び、主体的で積極的な生き方ができなくなる。
・ゲシュタルト療法ではエンプティチェアを用いて、自分が投影している相手と対話をする。
つまり投影していたものを、今ここで自分のものとして体験することによって再び自分に取り戻すことができる(統合できる)
『我々の見るもの感ずるものは、すべて我々の心の投影である』byパールズ
だからこそ、境界線をもって、相手を尊重し、自分をも尊重するしかない。
〇無境界(コンフルエンス)
~「私」と「私でないもの」の間に境目がない~
・自分と他者と一体になって、両者の区別がつかなくなり、自立した行動、生き方ができなくなっている状態。
親の怒り、悲しみを自分にとりこんでしまい、自分の怒りなのか、悲しみなのか、わからない、、
そういうことが多々みうけられる。
・「私は~です」「私は~と感じます」と主語をはっきりさせ、自分に責任をとるように促す。
〇反転(リトロフレクション)
~相手に対して感じていることを自分に向ける~
・「相手が悪いのに自分が悪かった、と自分を責める」
このように、自分の中に湧いた感情を表出しないことによってまず自分が傷つく、
その上、さらに自分で自分を傷つけるのでダブルパンチで傷つく。
その結果、自分を真二つにするところに境界を引いてしまう。
(”ホントウの自分”と”傷ついている自分”という分裂が生じる)
・ゲシュタルト療法では、クッション等を用いて、自分が自分にしていることを実体験させる。
そうするとそこに情緒的な体験が起こり、未解決の問題を解決する方向へと向けることができる。
〇逸脱(ディフレクション)
~話題を転換して焦点をずらす~
・肝心なところにふれないようにする。回避のひとつの方法。
・ワーク中に「私」「あなた」以外の三人称の主語をつかって何かに”ついて”話している時には、逸脱が起きていると捉えられる。
要は「自分ではなく他人の話をする」
それを、「私は」の主語で話させる→身体の反応→十分感じさせる(十分に待つ)
「わからない」も、気づき。
”わからない”ということに気づいている。
これについて解釈や説明はしない。
その人が気づいたことが、その人の真実。
無意味なことは何一つない。
逸脱にも意味がある。
言いたいことが言えないのも意味がある。
投影のエクササイズ。
私が気になったのは、ぬいぐるみの「ニケ」でした。
✨ニケからうけとったメッセージ✨
私は愛されている。
私はただいるだけで愛される。
黒と白は陰陽。肉球のピンクは愛。
私は陰が大きく、陰があるから陽を生きられている。
愛を知ったらピンクが生まれた。
肉球がピンクになったのは、ふれることで愛を知ったから。
私は愛でできている。
私は「猫だけど、河童でもある」と気づいたら、目が緑になった。
いろんな色が加わって、私は豊かな存在となった。
私の中にはいろんな要素があり、私は様々なモノで構成されている。
私は、何者でもない。私はワタシ。
私は愛されている。
私はただいるだけで愛される。
これを、たくさんの人に知ってほしい。
みんなそうなんだと、知ってほしい。
わたしもあなたも、ただ愛でしかない。
投影のエクササイズでは、
「今の自分が出る」「今の状態がわかる」
なりきることで、自分自身と深くつながり、みえてくるものがある。
「無意識が真実」だからね。
そのままの自分を語るより、自分を表現できる投影のエクササイズ。
これいつかどこかで、やりたい!^^
【仲間のワークからの気づき】
・子どもは親を気にかけているし心配をしているし、いろいろを思い感じている。
→でもこれもホントウのところはわからない。
だから「私は私、あなたはあなた」で生きるのが健全。
相手のことはわからない。
私は私の心地よさを大事にして生きたらいい。
「離れること」「境界線を引くこと」大事。
『境界線は愛のために引く』byポーラ
・「人を信じたい自分」「人を信じられない自分」
私の中にも両方が存在している。
そして、「信じたくない自分」もいることに気づき
その自分を受けとめ、ゆるしたことで、私は楽になったことを思い出した。
・「混乱があるからこそ、次のステップへすすめる」
その混乱は、貴重な体験をしているということ。
「怖い」も新しい体験。
『本当の名前(本名)を呼んであげなさい。そうすることで他者と区別がつく』byポーラ
『混乱が起こってますね。おめでとうございます』byポーラ
『私は殺すことはしません。でも、あなたが殺しに行くその時までそばにいます』byポーラ
・「愛してる」を届けよう。
相手がどう感じるか、どう受け取るかはわからないけど、大切な想いは「私が言いたいから伝える」というスタンスで伝えよう。
「息子さんのチカラを信じなさい」
親が子どもに出来ることは、ただ子どもを信じ見守ること。
・自分以外の人の期待にこたえなくていい。
私は私の価値観で生きたらいい。
誇りをもって生きよう。
・誰かとのパートナーシップにおいて「対話」が大事だなぁと、あらためて思った。
話してみて、わかることがあり、感じられることがあり、理解できることがある。
【私自身のワークでの気づき】
前回のゲシュタルトベーシックで「これはワークやるやつ!」って反応し、ノートにメモしブログにも書いたことを(笑)ワークしていただきました。
そのワークのテーマは、
「言っていることとやっていることが違う人がゆるせない」というもの。
宇宙視点の私で在る時、それはゆるせるし、人間だものねって大らかに眺める事ができるのだけど、
人間視点で在る時、そういう人のエピソードにふれると、カチッとゆるせないスイッチが入り、私の真ん中にある何かしらの種が着火され、その火種を感じる自分が不快だし、その種はなんなのだろうというのを知りたくて、ワークにかけました。
結果、子どもの頃の性トラウマが種だと気づきました。
種がそれを教えてくれました。
(以下、センシティブなことにふれるので抽象的な表現で気づきを綴っていきます)
身体を丸めて、ただただその場でじっと、いろいろを堪え忍んでいた中学生の頃の私になってみた時
ふとその時の情景が浮かんだのです。
そして、その時の身体の感覚、心の声が蘇る、、という体験をしました。
私の身体はすごく怖さを感じていたし、震えていたし、憤りを感じていたし、傷ついていたし、
受け容れ難い、受け容れきれないものに覆いかぶされ、押しつぶされそうになっていて
それらから自分の身を守るように、身体をぐーっと丸め、ぎゅっと固めて、私は私を守っていた。
「言っていることと、やってることが違う!」
それはその時の心の声でした。
その声を私は「私さえ黙っていれば家族は壊れない」とひとりで抱えることを選択し
その声を押し殺し、閉ざすことで、私は私を守り
そして、そうすることで同時に私は、家族を守ったのです。
そこに気づいた時、はぁ、、、、、っと息が漏れました。。
私は私を守れなかったと思っていたけど、そんなことはなかったし
それを閉ざすことで私は、あの頃の私にとって大事なものを守った。
私は私の大事なものを頑なに守り続け、守り通して生きてきたんだ!って
そう気づいた時、私の中のその真実の実感が湧いた時、
ものすごく自分のことが愛おしく思えたし、誇らしく思いました。
その健気さに、泣けました。。
私ってすごいよ、すごいじゃん!
私は弱くなんかない、強いんだ!って思ったし、
私は、大事なものを守れる人なんだ、って、そんな自分自身に心強さを感じました。
「あなたは私の誇りだよ」って言葉を、気づいたら、自分自身にかけていました。
今現実に、言っていることと、やってることが違う人をイメージで出してワーク内で対話をしたとき、
私がその人に対して放った言葉は、
「私は、家族を蔑ろにしたり、泣かせたりしない」
「私は家族が壊れることはしない。私はあなたとは違う」
「私は大切な人を大切にして生きていきたい」
でした。
私はそういう人間なんだなぁと、あらためて再確認しました。
そして、たった今の私が、ふと思ったことは、
それを投影の視点でみた時、
「それが私を止めているということはないか?」ということ。
言っていることと、やってることが違う人を見て、そこに「ゆるせない」という着火が起こるということは、
そこに「私が大事にしているもの。大事にしたいもの」があるだけでなく
そこに「私のホントウはこうしたい。こうありたい」が映っている場合があるから。
後者の可能性も無きにしもあらずだなぁと感じているのは、仲間とのランチでのやりとりで
「ホントウは目立ちたいんじゃない?」って言われたから。
「私は目立ちたくない」っていう話をしていた時にそう言われて、その仲間は「俺は最近それを認めたんだよね」ってシェアしてくれて、その時になんか気になる、なんかあるな~って感じたんだよね。
「私はホントウは目立ちたいのかな?」
目立つのは本当に嫌なんだけどな~
ワークのネタができた(笑)
(仲間たちには「すでに目立ってるよ。存在感あるよ」って言われたw)
「家族を守りたい」が、ストッパーになっていないか?
これも、ワークで確認してみたい。
本当のことを言わないことで、守られたこともあったけど
本当のことを言わないことで、結果、守れなかったことがあった。
その両極を体験したことに気づき
本当のことを言う、言わないって、たいして違いがないというか、
それはそんな重要ではないし、それはなんら関係ないんだな~って思いました。
言わなくてもいいこともある。
言わないとわからないことがある。
知らせない方がいいこともある。
知らせても大丈夫なことがある。
本当のことを言ってもいいし、
本当のことを言わなくてもいい。
言っても、言わなくても、
「終わるものは終わる」
「壊れるものは壊れる」
「だとしたら、どうする?」
それは、
自分で、選んだらいい。
シンプルに、
そういうことなのです。
私は黙ること、閉ざすことが得意で
長いことそういう在り様で生きてきたから
「言わない」を選択することばかりをしてきたから
これからは「言う」を選択してみたい。
今までとは違う生き方をしてみたいし
今までとは違う人生を体験してみたいから。
私の真ん中にある種。火種。
それは「私の中にあってもいい」って思えました。それが嬉しい。
だって、それがあるから私は躍動的になれるし、私が私であれると気づいたから。
そして、その種は「愛」でもあったから。
確かに、嫌だったし、ショックだった感覚は残ってはいるけれど
そこにはもう湧き立つような怒りはなくて、ただその事実があったという、比較的フラットな感覚になれていることに気がつきました。(気づきやワークで昇華してきたのが大きいと感じています)
そこにはただ純粋な尊敬があって、好きだったという気持ち、ずっと一緒にいたかったという想い、
そんな私自身の愛が溢れていて、そこにふれた時、もう、溢れる涙を止めることができませんでした。
それは深くて温かい、とてもピュアな涙でした。。
私が私のことを、純粋に愛せるようになったから、今、深く愛せているから、出逢えた涙だと思いました。
そのピュアな涙に出逢えたこと、感じられたことが、すごく嬉しかったし、またさらに癒されたし、それは神秘体験をしたかのような不思議な感覚でもありました。
至福に満ちている感覚。
「ゆるす」って、まさにこういう感覚なんだよね、、と、今しみじみと感じています。
私にとって「性」は大事なものなのだけど、
それはまさに、いろんな人に着火させられてきたテーマであることにも気がつきました。
着火させられるところには、大事なものがあるんですね✨
トヨ子さんが、
「今、いつかの日のチェックアウトで、みきさんが性のことを堂々と語られている姿が浮かび、それが今、私のなかで一致しました」
と微笑みながら言ってくれました。
嬉しかったなぁ~~~
やっぱり、私にとって「性」は大事なテーマなんだとあらためて腹落ちし、深いところで納得できた感覚になりました。
トヨ子さん、ありがとうございます✨
私はいつだって、その時のベストを生きてきた。
今も、ベストを生きている。
ぜんぶ、あれで良かった。
私は私を守り、関係性を守ったのだ。
私は私の大切なものを、守ったんだ。
「ゆるそう」ではなく
今「ゆるせてる」っていう感覚にいる。
すごく軽くて、楽~で、嬉しい。。
そして、とにかく誇らしい。
気づくと、変わる。
気づくと、泣ける。。
気づきの涙が流れるほどに
私はワタシに近づいていってる感覚があります。
私はさらに、ますます
ワタシのことが愛おしくてたまらなくなっています✨
今回シェアした性のトラウマ体験をワークするのは初めてのことでした。
トヨ子さんが「言いたくなかったら言わなくていいのよ」って声をかけてくれて
一瞬、考えたけど、
「ここで、みんなの前で、シェアすることで何かが変わる。また一皮むけて身軽になれる」
そう感じたから、
私は、勇気をだして、性のトラウマ体験を、みんなの前でシェアすることを決めました。
決めてよかった。話してよかった。
今、それしかないです。
安心安全な場であり仲間だったから、心をひらくことが出来ました。
トヨ子さん、みんな、ありがとう✨
ゲシュタルトの場は、今や、私にとって「ホーム」
そして
平穏な今に「気づき」という刺激を与えてくれる場。
毎月、そんな有難きゲシュタルトの場に身を置けること、あらためて感謝します。
これも、当たり前ではないから。
気づきは宝。
私は、気づきに出逢うと、
エネルギーが活性化され、細胞が蘇り、覚醒する感覚になる。
それがもう、たまらないw
今からもう
来月がウズウズ楽しみです♡
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