こんにちは
ワタシ開花カウンセラー
リーラ ミキ です。
2023年4月4日~6日
ゲシュタルト療法ベーシック二泊三日の合宿に参加してきました🌈
今回のこの合宿での体験は「初めて」だらけで、気づきが半端なくて!
自分以外の大勢の方たちと同じ場所で3日間も寝食と学びを共にしたら、そりゃあいろいろが起こるし、いろいろを感じるよね。
帰宅してからもなかなかその余韻が抜けきれず、長らくホワホワと体験からの気づきの体感の中を生きていました。
今もまだボーッとした感覚はあるのだけど、そろそろ現実に戻らなくては!と思い立ち、今こうして文字を打っています。
この何とも言えない感覚
今までにない気づきの感覚
気を抜くと涙が溢れる今この感覚
今なお気づきの連鎖の中を生きている今ここの感覚
それらの感覚、感動が、文字にするという行動をすることで薄れていってしまうような、別のモノになってしまうような、終わってしまうような、、そんな感覚もあって、なかなか文字にする気になれなかった、というのもありました。
なので、3日間の私の中で起こった気づきを、抽象的に淡々と、綴っていきたいと思います。
この感覚は忘れることはないだろうけど、忘れることのないように
私自身の備忘録の意味合いも兼ねて、つれづれに気づきを綴り残しておこうと思います。
会場につき、その扉をひらいたら、こんな光景が目に入ってきました。
↓
電車が遅れ、数分遅れで到着したので、すでに会場にはたくさんの人たちがいました。
今回は約40名ほどのゲシュタルト仲間が集う場となったのだけど
その人数の多さ、熱気に圧倒され、いつものゲシュタルトベーシックの仲間以外に初めましての方々がたくさんいて、会場も初めての場所で、もちろん場の雰囲気もいつもと全然違う初めての感じで、、
もうとにかく緊張ーーーーーー
心身がきゅーっと縮こまっていくのがありありとわかりました。
意外と人見知りで、緊張しいの私なので、その反応は普通のことなのだけど、この日はいつも以上にきゅーっと身体が反応し、心が閉じていく感覚が強くありました。
そんな体験は久しぶりで、「私、大丈夫か?」って不安も湧いたよね。
でも、そういう自分に気づき、俯瞰してその自分をみることができていること、そんな自分をゆるし、そんな自分のままで在ることをOKできていることに、自分自身の変化、成長を感じることができました。
そして
私の中のどこかで、これから始まる体験、この先にある気づきを知っていたから、いつにない緊張や不安が起こったのだろうなぁって今、思います。
今回いろんな場面であらためて思い知った「他人軸」気質であるということ。
それも、大いに関係あるな~と思いました。
気を抜くと「自分」ではなく「他人」に意識を向けている
気がつくと「他人」の影響を真に受けて「自分」を閉ざしてしまう
今ここの私は、そんな自分にあらためて気づくことが必要だったんだと気づいています。
この気づきはラストの日にももちゃんにワークをしてもらっての気づきでもあったのだけど、
合宿の始まりの時にそんな布石を投げられていたんだなぁって今振り返り思いました。
すべては必然で、すべては最善の計らいで起こっている。
今ここのすべては、常に、そうなんですよね。
いたるところで神様を感じられる
とても神秘的な空間で
初日はひたすら、ももちゃんのワークをみさせていただきました。
私はこの日、緊張マックスで手を挙げられなかった~
ワークの後のフィードバックもできなくて
(そんな自分も良しにできたよ^^)
ベーシック仲間から「いつものみきちゃんじゃないね」って言われたw
【初日の気づき】
・「自分を信じるか、お母さんの言葉を信じるか、迷ってるの?」byももちゃん
ドキッ!と反応した。
今の私にドンピシャに響き、その言葉は、私への直球のメッセージでもあると受けとった。
私は、自分を信じたい。
お父さん、お母さんに言われた言葉を信じなくていいんだ!
自分が言われたい言葉、欲しい言葉は、自分で自分に言ってあげたらいいし、
その「自分の言葉」を信じたらいいんだよね。
いつまでも親の言葉を信じなくていい。もういい大人なんだから。
親の言葉を信じて生きるのは私の本意ではない。
私は私を信じる!
もっと自分に優しく生きる。
・本当のことを言えたら嬉しい。本当のことを共有できたら、それだけで嬉しい。
それをこの目で見ることができて、やっぱりそうなんだな~ってしみじみ思った。
「本当のことを話し合える、分かち合える」そんな関係性を築いていきたい。
・不安は、新しい環境に入った時、サポートがない時に起こる。
それは極普通のこと。合宿初日に不安が湧いたのも自然なこと。
だから「不安と共にしばらくいてください」
私が「一番じゃなくても愛される」って思いきれず、多少の不安があるのも、ただその経験がないから。
子どもの頃ずっと「一番にならないと愛されない」って信じ込んで生きてきたから、無理もないよねって思った。
不安と共に生きたらいい。不安はダメな感情ではない。
そして、「一番じゃなくても一番に愛される」の体感を日々更新していこうと決めた。
・「言っちゃいけない」「感じちゃいけない」「思っちゃいけない」それらが身体を冷えさせる。
思っているんだからしょうがないよね
他人がどう思うと、自分が感じているんだからいいよね。
「深呼吸は意識が入るから、自然呼吸がいい」
「考えと筋肉は連動する」
やはり呼吸が大事だし、身体のリラックスが大事。
・「○○は悪くないから」って何を止めたの?
私もこれをよくやってきたし、今もやってるな~と気づいた。
嫌だったら嫌って言っていいし、嫌な顔してもいいんだよね。
身体はいろんな感情を覚えていて記憶している。
身体をもっとゆるめてあげたいって心底思った。
2日目AM
ベーシックメンバーとももちゃんワーク
【2日目の気づき】
・「興味が湧いてきたら見る」これが自然。
自分の意志で相手をみると、ぶわ~っとこない(目をそらすこともない)
自分の目をつかっていないから、相手に翻弄されてしまう。
目をつむって外の世界に興味が湧いてくるのを待つこと。
そして準備ができたら、ゆっくりと目をあけて相手を見てみる。
興味が湧いて見たくなったら、自分の目で見たらいい。
意図をもって相手を見る。
興味は目から表現される。
日本人は「見ちゃいけない」の刷り込みがある。(文化的に「目を見ると敵」がある)
「見ていいんだ!」
・家系は連鎖する。私が家系を引き継いだのは母を好きだったからかもしれない。
「そんな法則聞いたことないけど」byももちゃん
そう言われて、ホントそうだよな~って思った!
大人になって、もう頭ではわかってるはずなのに、親の言うことをそのまんま「そうだ」と未だ思い込み信じてしまっているんだよね。
冷静に、俯瞰してみることができると、自分軸に還れる。
家系に引っ張られるな。自分を生きろ。
怒りは出さないと反転して自分を責める。
怒りは表現して出してあげること。
そうすることで自然と心身に安らぎが戻り自分をとり戻せる。
母の子どもの頃とシンクロして思い出し、家系ごと癒された感じがした。
・「一般論じゃなくて、要はどう生きたいの?」byももちゃん
生き方に直結している軸、元が伝わってこない。
「一般論」は、ゲシュタルト的にいうと「物語を創ってる」という。
物語だから、いくら話をしたって意味がない。伝わらない。
「どう生きたいか?」
私は、ホントウで生きたい。ウソではなくホントウで。ウソなくホントウを表現したい。
全部出していくこと。全オープンで生きていきたい。
今ここの課題、チャレンジはやっぱりこれなんだと気づいた。
「女性であるワタシをひらいていくとホントウのパートナーシップに出逢える」
自分の人生を歩んでいける
自分の人生を謳歌できる
自分の花を咲かすことができる
それを体現した私だからこそ、それを伝えたい、表現したい。
このエネルギーを循環していきたい。
「私にしかできないことをやる」
「私だからこそできることをやる」
そのためにはゆるしのプロセスが必要で、怖れを越えていくことが必須。
「周りと同じことしてるよね」のももちゃんの言葉に、私もドキッとした。
ということは、一般的に寄せていた自分がいたということ。
一般的を越えていきたい。
怖いけど、私はやっぱりホントウを生きたいから。
感情をたくさん感じていても、内に秘めて止めていては伝わらない。
感情を解放したら伝わる。
「伝えたい」はノイズだと感じる人もいる。
聞いていて「苦しい」と感じる人もいる。
自分が面白がってできることをしたらいい。
・私は人の良い所、良い変化、ポジティブに注目することが習慣となっていてベースとなっている。
それはとても良いことだけど、他者のネガティブなフィードバックを聞くと、「なるほど!」って反応し「あ。わかる~!私もそうだわ」って気づくことが多々あって、
自分ひとりではそれらに気づけていないということは、無意識にネガティブを感じないようにしているのかもしれない、そう思ってはダメとまだどこかで思っているのかもしれないって思った。
そして、この世界はバランスだから
私はそんな私でいいし、それが私なんだよねって、自分のことを丸ごとOKすることができた。
人は誰もがみな完全ではない。
不完全だからこそ、共に生きていけるし繋がることができる。
人にはそれぞれにそれぞれの役割がある。
私は私の役割を全うしたらいい。
私は私のままでいい。
あなたもあなたのままでいい。
それでいて
私たちは完全(ひとつ)となれるのだから。
2日目PM
【4人ずつでのCFO】
C・・・クライアント
F・・・ファシリテーター
O・・・オブザーバー
CFOはやったことがあったけれど、
ファシリテーターをさせていただくのは今回が初めてで、超ドキドキした!
how-toではなく「体験する」
「相手に興味を持つこと」を意識し、仲間の胸を借りる感じでさせていただきました。
結果、、
「知っているのと、やってみるのとでは全く違う!」ということが痛いほどにわかりました。
「ワークは場数」の言葉がよ~くわかりました。
もっとこうしたらよかった、あの時こうしたらよかった、、いろんな反省が頭をよぎり、まだまだだな~実践ありきだな~と自分の未熟さを痛感しました(ちょっと凹んだw)
これを糧としてファシリの経験をさらに積んでいこう!と心動かされた、とても貴重な有難い体験となりました。
「どんなワークも失敗、無駄はない」
自分にふれる、それで十分。
「日常の中で、自分と繋がること」
精進します!
CFOでクライアントをやった時
久しぶりに小学校の恩師田中先生が出てきて、涙が溢れた。
「その涙はなんて言ってるの?」そう言われて
聴こえてきた言葉は
「がんばれ!!」でした。
もう、、涙溢れまくり。。
そして、
ふと浮かんだ言葉が「信念」でした。
めちゃ試されてるな~問われてるな~応援されてるなーって思いました。
感激、感動。。
CFOのグループ分けにも、意味がありました。
シンクロがたくさんあった!(私にとって大切なキーワードが出てくる出てくるw)
本当に、すべては良き計らいで起こっているんだなぁって体感しました。
初めて3日間朝昼晩とヴィーガン料理をいただきました♪
肉、魚がないから物足りなさとか感じるのかな~って思っていたけど
全くそんなことなく!大満足でした♡
しかもぜ~んぶ美味しかった!また食べたい♪
お部屋は、ベーシック仲間のゆうこちゃんと2人部屋で、ゆったり過ごすことができました♪
お部屋の名前が↓^^
「夢を語る」✨
その名の通り、毎晩、語り合いました(≧▽≦)
やたら「覚悟」って言葉を連発してた!w
今まさにそういう時を生きているんだなぁって思ったよ。
お部屋での時間も有難くて、必然としか思えなくて、気づき満載でした!
ゆうこちゃん、ありがとう✨
3日目全日
全員でももちゃんワーク
【3日目の気づき】
・無意識にやっていることが身体にでる。
呼吸を止める時、胸骨を閉める。
・「私のせい」がお母さんを手放さない理由になっている。
そこには「一緒にいたい」がある。
それはとても自然なこと。
「さようなら そして ありがとう」
その言葉の響きが美しくて綺麗で、感動した。
一期一会。
今ここのご縁を大事にしようとあらためて思ったし、人とお別れする時は、その言葉を伝えて別れることをしたいって思った。
「真実こそ人を癒す」
ホントウのことにふれていくこと。
・夢は私が創り出している。夢は言語化できない私の何かを現わしている。
弱さも、強さも、両方ある。
「死ね」って言うのにタブー感があるのは、それを表現していないだけ。
私の中にもたくさんそういう言葉があったな~そしてそれを表現することでタブーを払拭してきた。
ホントウのぶつかりは感動する。
人と人とのホントウのぶつかりは胸を打つ。
そこにホントウがあるなら言葉は何でもいいのかもしれない。
タブーな言葉を表現することで解放できること、突破できることがある。
それをやらなければならない時、それをしなきゃいけない時がある。
怖がりながらでいい。
怖がりながら、やりたいことをやったらいい。
そしてラストのワーク
誰も手を挙げなくて!
「これはGo!ってことだな!」と腹をくくりw手を挙げて、ももちゃんにワークをしてもらいました。
ずっとワークどうしようかな、、って迷いがあったのです。
やってもらいたいけど、やるならって頭にあるテーマが、私を躊躇させていました。
でもこの3日間
いろんな方のワークをみさせていただいて、そこに本気をみて、ホントウの自分を表現している姿に勇気をもらって背中を押されて、あの場のみなさんのエネルギーにふれたからこそ、勇気をだして手を挙げることができました。
あのワークの体験ができたのは、みなさんのおかげ。
不安な時、怖い時は、ひとりでがんばらないで、誰かのチカラを借りればいいんだよね。
そして誰かのチカラを自らのパワーに変えられたなら、不安なままに怖いままに、突破できるんだよね。
それを体験、体感できたことも有難かったし嬉しかった✨
誰かと共に、チャレンジしたらいい、超えていけばいい。
ひとりで生きよう、生き抜こう!とせず
仲間と共に、生きていけばいいんですね。
私がワークしたテーマは
【ふと、妥協して私と付き合っていると思ってしまう時がある】
ももちゃんの第一声
「あなたはどうしたいの?」
もう、この一言に集約されているといっても過言ではない。
どうしても他人軸の私が顔を出す。
それをいろんな場面で思い知った。
自分軸で生きられるようになったと思っていたのに。
やっぱり、そもそもの気質って無くなることはないんだよね。
他人軸の私はこの先もずっといるし、その私もダメではない。
要は、うまくつきあっていくしかなくて
「今、私は自分軸、他人軸、どっちの私かな?」って
その都度、今ここの自分に自分で気づいていくしかないんだよね。
初めて家族の座布団を置いて、それぞれの家族になってみて、それぞれを感じることができた。
想像どおりだったり、そうではなかったり、、
やはり実際になりきって座ってみないとわからないことがある、座ったからこそ感じられることがある、それをリアルに体感することができました。
私自身のワークでの気づきはノート10ページにもわたった、w
なので、ここではキーワドのみを書き綴っておく。
今回のももちゃんのワーク体験、気づきの詳細は
必要な方へ、今の私とご縁ある方へ
リアルにシェアしたいって思っているので
気になる方はセッション等でお尋ねくださいね。
【私自身のワークでの気づき】
・「全部言わなくてもいいし、ホントウのことを言わなくてもいい。
怖いなら無理しなくていいし、自分で自分を守ることも大切」byももちゃん
→私は「とりあえず」「あやふや」は嫌な人なんだとわかった。
私はいつだってホントウで在りたいし、ホントウを生きたい。
そしてだからこそ「自分で自分を守る」ということを常に心に留めておく必要があるって思った。
・ブレる時っていうのは「私はどうしたい?」からズレている時。
・「家族を守りたい」と私は思っているけど
ホントウは「子どもが守ってくれている」のかもしれない。
・子どもに「ごめんね」って謝らないこと(ももちゃんとの約束)
謝ってしまうと、子どもが背負ってしまう。
・自分の言動で、もし子どもが傷つくようなことがあったとしても、それは自己責任。
それは引き受けるしかない。
「それぐらい引き受けてください」byももちゃん
・「どうするか?」は私が決めるしかない。
私の中に答えはある。私が自分で決めるしかない。
・家族というカタチを壊したくなかった想い、家族を壊されたことが辛かった私、子どもたちを想うと切なくなる私、がいることに再度気づかされた。これはもう、なくなることはないんだなぁって腹をくくったw
まさに「引き受けるしかない」のだ。
「一番になれなかった想い」から「父の期待にそえなかった」という言葉がでてきた。
そして、男の子が欲しかった両親の元に女の子で生まれてきたことに対しても「期待にそえなかった」と思っている私。それは罪悪感ともいう。
私にとって、家族というカタチが壊れること、壊すことは、両親の期待にそわない大事を成すということ。
だから、ここまで家族のカタチに拘り執着し、カタチが変わることに罪悪感、恐怖、不安を感じてしまうのかもしれない、とも思った。
・私は基本「すべてを学びだとプラスに受け容れる習慣(癖)が身についている」ということに、ふと溢れた涙で気づいた。(いい習慣ではあるのだけど。時に、いい子、優等生になってしまいがちってこと)
ホントウは、嫌だったり、傷ついたり、悲しかったり、悔しかったり、怒りが湧いたり、、
そういう時がきっと今ままでたくさんあったのかもしれない、今もそういう瞬間が起こっているのに、無意識に感じないようにしていたり蓋をしていたりがあるのかもしれない。
かなり意識してネガティブをひろってあげないと、と思った。
ふと出た言葉「守ってくれてありがとう」
私は今まで、今も、私のことをちゃんと守ってあげられていなかったのかもしれない。(これは今のとって衝撃的な気づきだった。守れていると思っていたから。でも少し心当たりもあったりするからビンゴ)
他者だけでなく、自分に対しても優しくありたい。
「私は私を守る」とあらためて誓った。
・「愛情をたくさんもらってる」←条件付きだよね
私は条件付きで愛しているのか?
私は条件付きで愛されていると感じているのか?
「条件付き」「無条件」どちらもあるよね。どちらもあっていい。
どちらかだけに偏っているとバランスが崩れるのだと思った。
私はどちらにも気づけているし、どちらもある。だからこそバランスがとれている。
条件に囚われている時、不安、恐れが湧く。
その時は、条件付きのマインドになっていることに気づくこと。
そして無条件の愛の体感を思い出し立ち還ればいい。
そうやって、ゆれるたびに、真ん中に還ればいい。
エゴがある人間なのだから、条件に意識が向いてしまうのもこれまた自然なこと。
「私はもうすでに幸せ」に立ち還ることの重要さにあらためて気づいた。
無条件の愛に気づき、それは今ここにある、と感じられることが大事。
「ありのままの私でいい」と思え、「そのままでいいよ」「そんなあなたのままでいていいよ」「そんなあなただからいいんだよ」って自分に声をかけてあげられる私であれること。
「丸ごと、OKにできること、愛せること、愛おしいと思えること」
それは他者に対しても。
そういう人で私はありたい。
ワークでめちゃ泣いて目が腫れてるw↓
チェックアウトの時、気がついた。
私は私のためにワークをしたかったんだと。
ふと、「自信」という言葉が湧いてきて、
あ~私は自信を持ちたかったんだな~って腑に落ちたの。
やっぱりどこかで、今の自分を受け容れられていない私がいて、
それに対する他者の目だったり世間のネガティブな反応だったりが気になる私がいて
そしてそれが不安をよんだり、恐怖を湧かせたり、、
だからそれをワークを通して、実際にリアルに体験してみることで確認してみたかったのもあったんだな~って気づいた。
ホントウにそうなるのか?
ホントウはどうなるのか?
私の中にあるネガティブな妄想が思い込みでしかないと体験したかったのと
もしネガティブな反応を体験したとしても、それは経験値となってこの先をワタシで生きるための免疫となる!というのもあった。
ワークをすることで、今の私を突破したかったのだと思う。
他人軸のウジウジした私にパワーを注いであげたかった。
「大丈夫。それでも大丈夫だよ」って。
そして、私が突破しなければ、私とご縁ある方も突破できないっていう想いもあった。(今繋がっている方の顔が浮かんだ)
私は自分を信じたい。だから信じる。
自分の思っていること、感じていること
自分が今やっていること、生き方、在り方
自分が決めたこと、自分で決めたこと
それらを「それでいい」「それがいい」ってゆるし、全肯定し
そんな自分、今の自分を、信じぬくチカラが欲しかったのだと思う。
ただ、自分を信じる自信が欲しかったんだ。
そして今、晴れ晴れとした私がいて
怖くてもチャレンジできた自分
ワークでホントウのことを表現できた自分
そんな自分を誇りに思えている。
がんばった。やりきった!
嬉しい。ただ嬉しい。
自分のためにがんばるって、嬉しいんだね。
自分のためにチャレンジするって、
それが怖ければ怖いほどに、むちゃくちゃ感動するんだね。
ありがとう、私✨
私はワタシを信じて生きていく。
やっぱり
私を幸せにできるのは私しかいないんだ。
さらなる自信を得て
さらにワタシを生きる軸が整った感覚があります。
何かが大きく変わっていく
何かを大きく変えていく
そんな予感を今、感じています。
「体験」することで、「気づき」に繋がる
「気づき」こそが、人を変容へと導く
それを身をもって実感しているからこそ
そういう場を創造し
私と縁あって繋がった方と
共にその循環を感じ、分かち合い、生きたい。
そのためにも私は
チャレンジすることを選択していくし
ワタシに気づいていくことを継続していく。
ウソではなく、ホントウを生きたいから。
ホントウで、繋がりたいから。
あなたがもし
ホントウの自分で生きることを望んでいるのなら
ぜひ、私と繋がってくださいね^^
きっと、あなたも
ホントウの自分を
生きたくてしょうがなくなるから✨
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