こんにちは
ワタシ開花カウンセラー
リーラ ミキ です。
ゲシュタルト療法ベーシック8回目の2日間
「ゲシュタルト療法と芸術療法」
~花を使った表現方法のワークと共に、内観の投影から心身の統合へ~
略して『お花とゲシュタルト🌹』を
お花をこよなく愛する相模佳世子さんから学ばせていただきました。
お花、大好きだし^^
お花とゲシュタルトっていったいどんな感じなんだろう?って好奇心いっぱい!
このベーシックの受講を決めた時から、ずーっと気になっていた回だったので、と~っても楽しみにこの日を迎えました🌹
芸術療法は
「言語をつかわなくても表現できる」
というところに、その素晴らしさがあるなぁと思いました。
「言葉で表現できない人に有効」
「言葉で表現できない人には大事な表現方法」
そう佳世子さんがおっしゃっていたけど
「お花とゲシュタルト」を体験して、体感をもって、ほんとそうだな!って深く深く実感しました。
それは、私自身がまさに「言葉で表現できない人」だったから。
そして今も、言葉で表現することが苦手だからです。
アメブロに先に少しレポを綴ったのですが、
お花で満たされ、ふと溢れでた言葉は
「何でも言っていいよ」でした。
それがやはり私という人間のミッションであり
そしてそれを「この命をつかって体現していく」ことで表現していく、ということが、私という人間の大いなる役割のひとつなんだろうと感じました。
花のワーク①
「今ここで、気になる花に出逢う」
たっくさんのお花がある中
私が真っ先に惹かれ手にしたのは
真っ赤な薔薇でした🌹
名前を「可憐ちゃん」と命名✨
薔薇の花も何本かあったのだけど、この子だったんだよね。
花びらが、さらにひらいていこうとしている感じが愛おしくて
がくが、大地を踏みしめ、手のひらを太陽に向けて伸ばし
「すべて受け容れます」
「この世界は素晴らしい!」
って言っているような気がして、すごく惹かれた✨
繊細だけど逞しくて
棘があるほどに美しくて
小さいんだけど存在感があって
濃密な秘めた魅力と躍動的な力強いエネルギーが瑞々しく溢れてしまっている感じがすごく好き。
私はそんな薔薇のようになりたいんだなぁ🌹
だから、可憐ちゃんを選んだんだね^^
(仲間のMさんに可憐ちゃんを指さして「みきさんみたい」って言われて、めちゃ嬉しかった♡)
花のワーク②
「一人で作品を創る」
無言で、ゆっくり、ゆったり
今ここで気になるお花を1本ずつ選んでいく。
そのプロセスは瞑想のようでもあり
自分と繋がり自分に気づく時間でもありました。
葉っぱをさわったり
花びらにふれてみたり
香りを確認してみたり
光にかざしてみたり、、
ここまでお花とコンタクトしてお花を選ぶってこと
今までしたことがありませんでした。
非日常な貴重な時間
なんともいえない尊い時間を
体験、体感することができました。
「今日のお花は
今日の私しか活けられない。
明日の私は
今日のお花を活けられない」
まさに「今ここ」
佳世子さんの言葉が沁み入りました。。
【花のワーク②での気づき】
1本1本、自分で選んだお花はとっても愛おしくてたまらなくなった。
我が子の成長記録並みに(笑)写真を撮りまくっていた!
そしてその1本1本に「ワタシ」が映り
その1本1本は「私」だと感じられた。
いろんな私がいてこそ
いろんな私がいるからこそ
私は美しく咲ける🌹
《私の選んだお花からキャッチした言葉》
オレンジ&黄色の花ー太陽・アマテラス・本質・生命・魂
赤の花ー情熱・愛・本能
青の花ー冷静・俯瞰・清廉
黄色の花ー少女性・陽気・明朗
緑のトゲトゲー傷・闇・陰・個性
緑の葉っぱー癒し・中庸・ゆとり
それはまさに「ワタシ」を現わすものであり
「私」が大事にするコトだと受けとった。
陰(影)があるから陽(光)がある。
陰陽あってこそ、ひとつとなる。
全体的に緑が多い。
すべてに緑が土台にある。
緑は私にとって「パートナー」
パートナーがいてくれてこその私であり
内なるパートナー(自分カレシ)がいてくれてこそのワタシ
ベースに緑があるから
生きられる、立ってられる、咲き誇ることができる🌹
それを心に留めて
ふたりのパートナーに対する感謝を忘れないように生きたい。
お花の色の分量としては黄色が多い。
それは私の本質のエネルギーに近いのかもしれない。
ダリアにも黄色が入っているし。
もしくは、今の私はその面をたくさん表出して生きているのかもしれない。
少女のように毎日生きているもんな^^
お花を選ぶとき、他人が全く気にならなかった。
そして、自分のお花が一番かわいい!一番イイ!って思えた。
私、やっぱり変わったんだな~って思えた。
花を選ぶとき、ある程度狙いを定めていくスタイルだった。
まさにこれは私の生き方のスタイルかもしれない(笑)
【仲間のワークからの気づき】
・「調和」「ハーモニー」の言葉が響いた。
お花はみんなそれぞれ違って、違うからこそ美しい。
持って生まれた個性を、自信をもって咲き誇ったらいい。
お花は遠慮しないし、出し惜しみしない。
ひとりで咲くのも美しいけど、自分以外の花と一緒だから表現できることがあるし、ひとりじゃないからこその美しさと感動がある。
自分で選んだお花を活けている時、1本活けるごとに世界がひろがっていく感じ、パワーが増大していく感じがあったことを思い出した。
ひとり頑張って咲こうとしない。
みんなと一緒に咲きほこればいい。
・死があるからこそ美しい。
肉体はいずれ滅ぶ。それまで生ききる。
・表現することは、自分を守ることでもある。
・「妻をやめる」ことで、私は私を守ったんだ。
それは薄情ではない。
そして
親をやめてもいい。子どもをやめてもいい。
・グループのチカラ
自分で言い聞かせている言葉を
誰かに言ってもらえると、本当の癒し(ゆるし)につながる。
・自分の中にある黒いものは、無くならない。
無くそうとするのではなくて、それを武器にできたらいい。
「陰陽、どちらを生きるか?」は、自分で選べる。
・生きている間は親の愛を求めてしまうもの。
「母は妹ばかりを可愛がる。理不尽。私は愛されていない」
そう思っていたことは気づいてはいたけれど
今回、そこにふれ、涙がたっくさん溢れた時
それを本当の意味で理解し受容しゆるすことができたように思う。
やはり、体感することが、ゆるしに繋がる。
私はそう思っていたことを母に”言えなかった”
私は子どもの頃から、たくさんの言葉を飲み込み、自分で抑えてきた、ということをあらため実感した。
だからこそ今、ゲシュタルトに出逢ったのだと思う。
親に愛を受けとってもらえない辛さ、寂しさ、悔しさ、、私は知っている。
「それでも、よくがんばったよね、よくがんばってたよね、よくがんばってきたよね」
あの頃の幼き私に優しく寄り添ってあげることができた。
嬉しかったし、ホッとした。
そして、だからこそ私は
自分で根っこを張ることを覚え、強くなれた。
欲しいものは自分で掴むこと、掴めることを知った。
↑
このシェアをした後、母からラインがきた。
「何もないんだけど、みきちゃんの声が聞きたくて」と。
私の想いが伝わったのか?
やっぱり親子は繋がっているんだなぁって思った。
伝えなくても、伝わるんだ!
そしてこの件で、
言葉じゃなくても伝わると気づき
子どもの頃、私は母に言いたいことを言えなかったけど、
「言いたいことを言わない」を表現していたんだよなぁって気づくことができた。
私は「言わない」を表現していたのだ。
そんな健気な幼き私がイメージとして湧いて、また泣けた。
そして母は母で、私のその姿から、何かを感じ何かを受けとっていたんだろうなぁと思う。
・親子であっても
わたしはわたし。あなたはあなた。
私という存在は唯一無二の私。
遺伝子とか関係ない(特別変異することがあるらしい)
・嫌いだから離れたんじゃない。
私のせいでも、私がダメだったわけでもない。
優先順位が下がっただけ。
・損得ない関係を大事にしたい。
去っていく人ではなく、繋がる人と一緒に生きていく。
・感情に良い悪いはない。
「寂しい」と共にいてあげたらいい。
・自分の価値は、自分がわかっていたらいい。
私の価値は、私が知っている。
・辛く悲しかった経験は、
「私は私を幸せにする」という覚悟に繋がった。
・素のまま、ありのままの姿こそが尊くて美しい。
自然であることは、人を感動させる。
女性は特に、ナチュラルで在ることが一番可愛くて、本来のエネルギー(魅力)で溢れるなぁって思った。
涙も表現。
涙は化粧水w
「存在そのものが表現者」って言葉が、自分の中から生まれたのだけど
それいいな~!って思った。
そうなりたい。そうありたい。
言葉は大事だけど、言葉は究極関係ない。
伝わるのは、在り方(放たれるエネルギー)
ただ、そのままの私であれるか。
ただ、今ここの私のままであれるか。
ありのままの私で存在できるか。
それこそがやはり
シンプルで究極のコトだと感じた。
この2日間
どれだけ泣いたか、わからない。
いつも以上にゆるみ、ひらいた私でいられたのは
いつも以上に、涙があふれて仕方がなかったのは
お花が常にそばにいてくれたからだと思う。
お花がワタシをひらいてくれたんだと思う🌹
お花って、すごい。
お花って、本当にすごい!
最後はもう、そればっかり言ってた(笑)
お部屋にお花があるだけで、空気は変わり、エネルギーが変わる。
お花がそばにあると、ずーっとなんだか身体が軽くて柔らかく在れてホワホワしていられた。
気づくと思考がストップしていた!
気づくと感覚が動いて感動していた。
お花(自然)って本当にすごい。すごいしかない。
ただそこで咲いているだけで、たくさんのことを循環してしまうお花はすごい✨
千恵子さんが
「お花のエネルギーは自分のエネルギー」っておっしゃって
お花のような存在でありたいなぁって思ったから
そうだったら嬉しい!って反応したのだけど
私たちも自然の一部なのだから
すでにもうそうなんだよね✨
私たちは、お花🌹
そうだよ!
「女性はお花🌹」って
私、いつも言ってた!笑
佳世子さんはまさにお花のような女性でした🌹
(私的に、スズランやタンポポのイメージ^^)
一緒にいると、自然で在れる感覚がすご~くありました。
大事にしたい佳世子さんの言葉↓
「昨日の私でもない
明日の私でもない
今日の私。
今日の自分が気になる感覚を大事にしてください」
お花だと
言葉よりずっと深く
言葉よりずっと繋がれる感じがありました。
私のように
言いたいことが言えなかった人
言いたいことがなかなか言えない人に
ぜひ体験してほしい!って思いました。
お花だと自然に表現できるから。
お花がそれを表現してくれるから。
「お花とゲシュタルト」
いつか、やりたい🌹
正しいか
正しくないか
そんなのは関係ないし
何を話しているのか
何を言っているのか
究極
そんなことはどうでもよくて
「表現すること」
それこそがもう
愛おしいのです。
そして
言葉がなくても
言葉を発していなくても
声がでていなくても
音がなくとも
人は常に何かを
表現していて
それが感動であり
それが人間なんだと
それこそが
生きるということ
生命(いのち)なんだと
お花が
教えてくれました。
最終日の日
佳世子さんが今回でゲシュタルトの学びの場で「お花とゲシュタルト」の講師をされるのが最後だと知り、想像もしていなかったので、びっくり!思わず涙が込み上げた、、
まさに
「今は今にしかない」って
最後の最後、思い知らされた感じがして
「今は今にしかないのだ」と
大いなるものからメッセージを受けとった感覚にもなって
あらためて
「今ここを大切に、今ここを生きる」と心に決めました。
それは今回、お花からも受けとったメッセージでした。
「お花はいつか枯れてしまう」
そう思った時
急に悲しくなって、切なくなって
「いつか枯れる」=「いつかいなくなる」
そんな構図がふと浮かび
私の中にある傷(この先もずっと共に生きていく傷✨)をまた感じました。
そして
だからこそ、
「今ここ」なんだと、あらためて思ったのです。
今ここにあるヒト・モノ・コトは当たり前ではないし
「今ここにしかない」
それらは、
いつだって「今ここにしか存在しない」
「今」を大事にしよう。
「今」を大切にしよう。
「今ここ」にあるヒト・モノ・コトを
「今」大事にしよう
「今ここ」で大切にしよう。
そうやって
いつだって
「今」を生きよう。
私自身にも
お花にするように
「今」愛情をかけてあげよう。
「今ここ」気にかけてあげよう。
「かわいいね」「綺麗だね」って声をかけてあげよう。
「ありがとう」って感謝を伝えよう。
「大好きだよ」って愛を注ごう。
そう、お花にするように🌹
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