こんにちは
ワタシ開花カウンセラー
リーラ ミキ です。
「信頼感というのは、関係性から生まれる」
この日観た動画には、0歳の赤ちゃんと、そのお姉ちゃん(5歳ぐらい)が映っていて、
一所懸命お姉ちゃんを探しては何度も何度もお姉ちゃんを這っては追う赤ちゃんの姿と
赤ちゃんに気づかれるとササッと反対側の位置に移動しては赤ちゃんから逃げ回り遊ぶお姉ちゃんの姿がそににはあって、
なんともその光景が微笑ましくて、可愛らしくて、思わず頬がゆるみました。
ふと、我が娘と息子もそんな遊びをよくやっていたなぁ~なんて思い出し、懐かしさに想いを馳せていたら、
「こういうかかわりから、信頼感とういうものは発達していく」
「何度も何度も、同じような運動、かかわりを積み重ねることで、信頼感は生まれる」
そんな言葉に出逢い、
なんだかわからないけど、そうだよな~っていう妙な納得感と共に、温かく優しい感覚が内側から湧きおこり、涙が溢れた。
言葉じゃないんだよ。
言葉ももちろん大事だけど、そうじゃないんだよ。
そんなふうに、私の身体が発しているのを感じました。
信頼感というのは、関係性から生まれる。
私たちは、自分以外の誰かとのかかわりを通して、何かを感じ、何かを受けとり、何かを発達させている。
何回も何回も、同じようなかかわりを経験、体験してこそ、何かが生まれる。
何気ない日常、いつもと同じ毎日
それこそが、
なにより、私という人間を自然なエモーション、バイブレーションのままに、発達、成長させる大事なコトなのかもしれない。
当たり前のような日々は、やはり、当たり前ではなかった。
今ここを、今ここの私を、
もっと丁寧に、もっと感じてみよう。
7月は「ソマティック・ゲシュタルト~赤ちゃんの動き②寝返り・バランスの動き~」
前回同様、ゆっくりゆっくり、自分の身体に意識を向けていく。
呼吸は今どこでしているでしょうか?
呼吸は身体のどこでしているでしょうか?
・
・
・
誘導のままに身体とつながっていき、
ゆったりと、心地よい動作を繰り返していく。
フェルデンクライスでは、手本となる動きを真似ることはしません。
人それぞれに体型、身体の習慣等が違うため、心地よい動きも人それぞれ。
みなそれぞれに、最適な動き方、楽で気持ちいい動きを探っていき、その人オリジナルの動きを見つけていきます。
そしていずれそれらは自然とコーディネートされていくのだそう。
ももちゃんの誘導はこういうことなのかな?
どういうふうにしたらいいのかな?
間違っていないかな?
これで合ってるのかな?
迷いが生じると、ふと、正解が気になり、周りが気になってしまう。
意識が他者に向いては、いわゆる答えを確認してしまいそうになる。
そのたびに、矢印を自分に、意識を自分の身体、感覚に、向かせ直す。
フェルデンクライスのお約束は、
他者と比べることをしない。自分の感覚のままに動くこと。
自分にとっての心地よい動きは、自分にしかわからない。
そう聞いていたし、わかっていても、癖ってでますね、
それこそ、身体にインプットされているのだろうな。
だから、そのたびに、
自分の感覚のままに、私が受けとったままに、動いてみること。
その体験を、自分に、身体に、チャレンジさせてあげる。
気持ちよい動きを探りながら、
自分の身体がゆるみ、心地いい~と感じるままに
これでいいのかな、こういう動きでいいのかな、って思いながらも
自分なりに、動いていく。
それはまさに、
自分らしい生き方、自分という在り方、自分であることの快を探り、見つけていくような感覚。
ももちゃんが、「フェルデンが終わるころ、身体は変わってるよ」って言っていたけど、
心と身体は繋がっているから、
身体だけではなく、フェルデンが終わったころの私という人間がどう変わっているのか、とても興味深く、今から楽しみでしかたない。
寝返りをうつ、ハイハイをする、立ち上がる、歩く、、
こうした赤ちゃんの動きの発達は、何度も何度も実験と失敗を繰り返しながら脳に情報を送り続けた結果。
今回はその中の「寝返り」のプロセスを体験したのだけど、
一度赤ちゃんの頃に経験しているはずなのに、その動きを身体はすっかり忘れていて、最初はなんだかギクシャクw
私たちは大人になるほどに、いろんな刺激をうけ、様々な動きをインプットし固定することを余儀なくされ、
本来の楽な動き、本能的な動きというものを忘れていってしまう。
だからいつもどこか緊張しているし、疲れてる。
赤ちゃんは起きている間はずっと何かしらの動きをしているけれど、疲れた~って言わないのはw、
赤ちゃんは、重心とバランスだけで移動しているだけだから。
余計な力や、思考などが介入していないんですね。
赤ちゃんは、常に、自分の心地よさのままに、自分のままに動いている。
最初はギクシャクしていた身体も、何度も同じ動きをしていくうちに、自分の心地よい動きというものを探り出せ、
心地よいな~って動いていたら、グルン!と寝返りができた!
その瞬間、思わず「はぁ~!」って声が漏れた。
嬉しい!楽しい!面白い!気持ちいい!
そんな集合体としての「はぁ~!」
赤ちゃんが初めて寝返りができた時、目をまん丸くしてハッとした顔を見せるけど、そうなるわ!って超納得しました。私もそうなったからw
そうやって、自分の身体を動かしながら心地よさを探求し、面白がって楽しみながら動いている日々のプロセスの先に発達はあるんですね。
そしてそれを赤ちゃんは誰に教わるでもなく、自分で動き、実験し、発見し、成長しているんだよね。
ホントすごい!すごいよね。
そして私たちはみな、昔は、元々は、そんな赤ちゃんだった。
私たちは、本来、
誰に何かを教わらなくても、
自分で、自分の心地よさを見つけられるし生きられるし、
自らのチカラで、身体で、感覚で、成長していけるんだよね。
今、あなたの身体は何を感じていますか?
楽な姿勢で寝転がって、
ゆっくりと、ゆったりと、
深呼吸をしてみましょう。
まずは、
あなたが、あなたの身体と共に在る
そんな時間を創ることから、
身体とのコンタクト
始めてみませんか。
今回のワークは、どれも今の私にググっとせまるほどにリンクしていました。
シェアできないほどに気づきの感覚がすごくてずっと泣いてました。
4名の方のワークから受けとったメッセージを端的に表すなら
「決めること」「身体の奥は自分でゆるんでいくしかない」「子離れ」
「罪悪感を手放す」「母の人生ではなく私の人生」「アイデンティティの確立」
余談だけど、52歳の女性からの「48歳からがいいですよ~」っていう言葉、めちゃ希望が持てたな~^^
肩甲骨の違和感だったり、左側のシビレだったり、
身体の症状からワークが大きく展開していくのを目の当たりにして、
やっぱり身体は何かしらの声を発していて、気づいてよ~ってメッセージを送り続けているんだなぁとあらためて実感しました。
身体の痛みは、心の痛みと繋がっている。
身体は、私。
身体の感覚は、ワタシ。
そして2日目の最後のワークは私がジャンケンに勝ってワークをしてもらいました!
もう、、、、、、、
ずっと、泣いてたwww
みんなで最後に撮った写真もご覧の通り、泣きすぎて目が腫れておりますw
「大勢の人の前に出るとすごく緊張する」というテーマでワークをお願いしました。
私、見た目には普通に冷静に見られることが多いのだけど、実際は身体の内側で、ざわざわドキドキ血流がすごく波打ってて手は震えるし手汗はかくし、お腹も痛くなったりもして、毎回体感がやばいのです。
先日思い出したエピソードがあって、その話をしていた時に同じ感覚になり、それを元にワークは進んでいきました。
そのエピソードというのは、簡単に言うと、
小学校5年生の頃、卒業式の予行練習で私はピアノ伴奏者としてピアノを弾いたのだけど少し伴走を間違ってしまって。それで担任の先生に呼び出され、その場の体育館で、しかも全校生徒がいる前で「なんでちゃんと練習してこないんだ!」「やる気がないならやめてしまえ!」って大声で怒られ、左頬をビンタされた、というもの。
小5の時の私は、「泣いたら負けだ」って生きていて、
その時も、泣くことはなく、反論することもなく、そのままその理不尽さをそのままに普通に受けいれた。
でも、教室に帰る時、恥ずかしさと、悔しさと、少なからず怒りを感じていたのを覚えてる。
そして、それを表現することをしなかったし、その不快な感情、感覚を感じないように頑張って蓋をしていたのも覚えてる。
きっと、解離、フリーズさせていた。
じゃないと、泣いてしまうから。
そのエピソードを今思い出し語った時に、
大勢の人の前に出るとすごく緊張する体感と同じだなぁって気づいた。
要は、未完了な感情があるってことに気づいた。
ももちゃんは、私に何度も「本当はなんて言いたかったの?」って聞いてくれた。
子どもの頃、いつも言いたいことを我慢して、感情に蓋をして生きていたから、こういう時、決まって私は口をつぐみ、口を尖がらせる。
ももちゃんに「子どもの頃いつもそうやって、我慢してきたんだね」って言われる。
私の口は、なかなかひらかない。
ひらくどころか、どんどん口は閉じていく。
何かが、強く抵抗しているのを感じる。
変わりに、涙がどんどん溢れてくる。
「泣いたら負ける」から、
涙がでそうになると、無意識に手で口を押えてしまう。泣いてしまわないように。
「もう泣いてるけど?」って、ももちゃんに言われて、
そうだけど、って思うけど、もう泣いてるんだけど、
手を離したら何かがドッと溢れてしまいそうで怖くって、それで手が離せなくて、、
それでもゆっくりと口を覆う右手を離してみたら、すぐまた左手が反応し口を覆う!
自分でもその左手の動きの素早さに笑ってしまったw
でもそれほどに、私の身体は、私は、私に泣くことをゆるしてこなかったのだなぁって気づいて、また涙がこみ上げる。
ゆっくりと左手も離してみたなら、
ダムが決壊したかのように涙がどんどん溢れる。
「涙を止めないで。涙をふかないで」
そう、ももちゃんは言う。
「その涙が流れるままに流し、感じて」と。
感じながらも、何度も私は無意識に唇をつぐむ。
それは自分を守るクセ。
ももちゃんが
「その時の理不尽な先生に何が言いたい?」って聞いてきた。
なかなか言葉が出ない。
そしたら、ももちゃんが座布団を抱え、私の前に立って
「俺をその先生だと思って叩いていいよ」って言った。
一瞬、身体がひるむ。
「そうまでしなくても、」って言うと、
ももちゃんが「理不尽なことされたんだよね?怒ってるんだよね?」って。
それでも、なかなか叩けなくて
「人を傷つけたくない。自分がされて嫌なことはしたくない」って言ってた。
ももちゃんが、
「それは美しい考えだけど、それは人間のすること。そうすることで感情をためてきたんだよね?」
「動物はそんなこと考えない。動物は傷つけられたらやり返すよ」って。
そうだよな、、!って納得したら、
座布団を叩けた!
しまいには、突き飛ばしたw
ももちゃんに「お~!!」って言われたw
それほどまでに、私は怒りを溜めこんでたってことだよね。
その時に真っ先に出てきた言葉は、
「痛い!」
先生に叩かれた左頬を押さえながら
「痛かった!」って泣き叫んでた。
私、痛いっていう基本的な感覚ですら言えずに我慢してきたんだね、、
「なんで叩かれなきゃいけないの?」
「ちょっと間違えただけでなんで叩かれなきゃいけないの?」
わんわん泣きながら
言いたいこと言えたらスッキリした。
と思ってたら、
ももちゃんが、
「その唇は何て言ってるの?」って。
唇は正直。
まだ何かを言いたくて、唇は私の意思に反して、尖がっていたみたい。
なかなか口がひらかない。
無言な時間のその先で出てきた言葉は、
「どうせ言ったって、聞いてもらえない」
それは、父に対する言葉でした。
私の父は運動も勉強もなんでもできる人で、
いつも私に「一番になれ」って
自分がずっと一番だったから、子どもの私にも一番になることを強要してきました。
そして、それが達成されなかったら怒る。叩く。
私はそれが悔しくて、苦痛で、それこそ理不尽だと怒りを感じていました。
でもそれを父に言うことはしなかった。
「どうせ言ったって、聞いてもらえない」って思ってたから。
手を挙げることで、コントロールしようとする人だったし。
だから、不快な感情には蓋をして、我慢して堪えた。
だからこそ、「泣かない!」って決めた。
泣くということは、父に屈するのと同じ。
「泣いてごかすな!」「泣いてゆるされると思うな!」って言ってた父に、泣いてる姿を見せるのは、悔しすぎる。
だから、泣けたら負けだ、って自分に言い聞かせた。
「どうせ言ったって、聞いてもらえない」
その言葉を口にしたら、次に出てきた言葉が
「私はお父さんとは違う!」でした。
私はお父さんとは違う!
私は一番になるとか興味ないし、一番になんか別になりたくない!
私はお父さんとは違う!
お父さんと私は違う!
そんなことを、ずらずら~~~っと感情のままに吐き出していました。
私はそれを言いたかったけど、言えなかったんだね。
あの頃、本当は、そう主張したかったんだね。
それはまさにゲシュタルトの祈り。
私は、私。あなたは、あなた。
だからこそ今、私はゲシュタルトに出逢い、どうしようもなく惹かれているのかもしれない。
「周りの人を見てみて」
そう促され見まわしてみたら、穏やかにこちらを見ている人、ニコニコ顔で見てくれている人、真剣にそこにいる人、すやすや寝ている人、、
いろんな人がいて、それでいて、ゆったりとした時間が流れていて、大きな安心を感じられている私に気づきました。
たくさんの人の前に出ているのに。
しかも普段見せないような激しい感情をさらけ出したのに。
とても不思議な感覚。
そしてひとり安心しきって寝ている人が気になって、何度も見返していたら、
「あ~私もあんな風に安心して寝たかった」って思わず呟いていました。
そしたら、ふと思い出したことがありました。
幼稚園ぐらいの頃、私は夜ひとりで寝ていたのだけど、真っ暗な部屋で寝るのが怖くて、豆電球をつけて寝ていました。でも父が帰ってくると、ふすまがピシャ!っと開いて、パチン!とその豆電球を消されるの。そして、ふすまをまたピシャ!っと閉めて行く。真っ暗な部屋でひとり寝るのが怖くて怖くて、、いつもひとり、お布団の中で丸まって寝ていました。
そんなことを思い出して、ももちゃんに話をした。
そしたら、
「座布団持ってきて、寝てみて」って。
え???ってなったけど、ももちゃんがそう言うから、
みんなの前で、座布団を好きなように敷いて、好きなようにそこに寝てみました。
「部屋の電気消してみて」ももちゃんがそう言うと、部屋が真っ暗になりました。
シ~ンと静まり返った真っ暗な部屋。
一瞬で、あの頃の感覚の中にいるのを感じている自分に気づいて、すごく不思議でした。
そうだ、こうやって寝ていた、、って思い出していく中で、自然と私は横向きになり丸まって寝ていました。
そう、あの頃のように。
暗いのが怖かったから、そうやって丸まって寝ていたなぁ、ってことに気づく。
でも、今ここの私はすごくリラックスしていて、その対比の感覚があることの不思議な感覚をゆらゆら漂って寝ていました。
数分、そうやって寝ていて、
ふと我にかえり、「いつまで寝てるの?」ってももちゃんに聞いてた。
そしたら、ももちゃんが、
「寝たいだけ寝ていいよ」って。
その何気ない言葉が、
なんだかじんわり嬉しくて、感動が起こって、何かが優しくゆるんでいった、、
思わず「いいの?」ってももちゃんに聞いてた。
「好きなだけ寝ていいの?」って。
そしたら、「気が済むまで寝ていいよ」って。
その瞬間、なんとも言えない感覚でいっぱいになって、
なんだかすごくゆるされた感覚になりました。
私の欲求のままにいていいんだ。
私の好きにしていいんだ。
私が満足するまでしていいんだ。
私の自由にしていいんだ。
そんな言葉たちが内側からあふれ、また泣きそうになりました。
そして、
「一緒に寝てほしかった」って言葉が、口をついて出てきました。
あ~、そうだったんだ~~~!って、今更ながらに、自分の気持ちに気がつきました。
自分のことってホントわかってない、、
あの時の私は、本当は、そう感じていたし、そう言いたかったし、そうして欲しかったんだね。
どんだけ感情を抑えて、ひとりで我慢してたんだろうって思ったら、
幼き自分がすごく健気に思えて愛おしく感じられて、なんかやっぱり涙が出たよ、、
「暗いのが怖いから、一緒に寝てほしかった!」
座布団をグイグイ押しながら言ってたら、
ももちゃんが、「じゃあ一緒に寝てあげるよ」って!!
そして本当に、私の隣に来て、添い寝をしてくれた。
最初はドキドキしてたけど、段々、嬉しい気持ちの方が勝ってきて、
すぐ目の前にももちゃんの顔があって、なんかそれが信じられない感覚と共に、すごく嬉しくて、
たわいもない話をしているのも嬉しくて、楽しくて、ちょっぴりやっぱり照れくさくて
途中ももちゃんが足でつついてきて、それも嬉しくて、楽しくて、はしゃぎながら、ちょっとドキドキして
あ~私は、こういうささやかなふれあいがやっぱり好き
じゃれ合いながらコミュニケーションする時間がやっぱり好きだなぁって思いました。
心身共に安心できる人と、気持ちを共有し、ふれあい、ゆったりと対話をする時間が、私にとって、一番ゆるめて、リラックスできて、私がワタシで在れる。
大好きな人と、ふれあいながらコミュニケートしている時間が至福。
大好きな人の身体と私の身体が、ふと、ふれあう瞬間が、温かくてどこまでも優しい、ふんわりとしたふたりでひとつの円を感じられる、この上ない幸せな時。
人は不完全な存在だけど、その瞬間だけは、ふたりで完全を感じられる、ホントウはひとつ、を感じられる、そんなミラクルな時間を体感できるだよね。
私は、その感覚、体感を、循環したいんだなぁってあらためて気づきました。
だから、パートナーシップが、大いなる大切なテーマなんだということも。
まさにそんなミラクルな時間を、尊敬する大好きなももちゃんと共有できたこと(しかもワーク中にw)すごく嬉しかったし、すごく有難く、幸せすぎる時間でした🥰
私の人生においての大きな大きな宝物になりました✨
このワーク体験で生まれたエネルギーは、私の根幹に宿り、これから先の私をずっとずっと温かく優しく見守り支え助けてくれる気がします。
ありがとう、ももちゃん😊✨
みんなが見ている中で、
ももちゃんと添い寝して、イチャイチャしてw
ふと我にかえったときに、思ったことがあって、それは、
「私のためにみんなの時間をつかって申し訳ない」ってことでした。
「私事で、みんなに迷惑をかけたくない」
「私が大満足なのを見ても、みんなは面白くない」
そんな気持ちが湧いてきたことを話すと、
ももちゃんは「面白いことを言うね」って笑った。
そして、
「迷惑か、面白くないか、みんなに聞いてごらん」って。
え!!!って、またなったけどw
何人かの人に聞いてみた。
そうしたら、
「私も、とっても大満足です」
「この先どうなるんだろ~って見てました!」
「良かったな~って思いながら見てました」
「いい感じが伝わってきて私までリラックスできました」
「楽しそうでいいな~って思って聞いてましたw」
そんな言葉が笑顔でかえってきて、
ホッっとした。。
迷惑かけてるとか、面白くないとか、
そんなのは私の勝手な思い込みから生まれてて、私の勝手な妄想でしかないんだよね、、
そんなのは頭ではわかってるのに、ふとした時に、いつもの癖って発動してしまうね。
「私が満足したら、周りの人も満足」
それを体験を通して、あらためて実感し、やっぱりそうなんだな~って腹落ちしました。
「自分でいるだけで、誰かの役にたつ」
ももちゃんのその言葉が、私の真ん中に浸透していくのを感じました。
言いたいことは言っていい。
感じたままに生きていい。
嫌って言ってもいい。
痛いって突き飛ばしてもいい。
甘えてもいい。
わがまま言ってもいい。
困らせてもいい。
好きなように生きたらいい。
もう、我慢しなくていい。
もう、ひとりで怖がらなくていい。
これからは、怖いって言っていい。
これからは、一緒にいてって甘えていい。
もう、強がらなくていい。
もう、ひとりで抱え込まなくていい。
泣いてもいい。
怒ってもいい。
嬉しい楽しいを生きていい。
幸せオーラ全開に生きてもいい。
私は、私。
私は、私を、生きたらいい。
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