ゲシュタルト療法ベーシック4~私が感じて気づいたことこそが私の真理(本質)~

こんにちは

ワタシ開花カウンセラー

リーラ ミキ です。



ゲシュタルト療法ベーシック4回目の2日間

今回は水野賀弥乃さん(かやちゃん)から学ぶことができました。

ゲシュタルトの学びの場で受付にいてくださる機会が多々あって、その際はいつも素敵な笑顔で私たちを迎え入れてくれるかやちゃん。

いったいどんな方なんだろう?っていつも気になってたから、そんなかやちゃんから学べる2日間、とっても楽しみに迎えました♪

いつもの青空がそこにあるって嬉しい✨


仏教徒の家に育ち、それなのにキリスト教の洗礼をうけたこと、そこに生まれた葛藤をきっかけに神のこと、哲学を学ぶ道へと本格的に進まれたかやちゃん。

哲学というと堅苦しくて難しいイメージがあるけれど、実際そうなのだけど(笑)
ボストンでも哲学の学びを深めてこられたという熟練されたかやちゃんのお話は難しいけど難しくなくて、じっくりじわじわ理解が深まっていき本質にふれていく、神秘的な感覚が呼び覚まされるような時間を過ごすことができました。

哲学って、ほんと深い✨

そして、哲学って、ワタシを生きるために、必須項目とも言えるほどに重要なことだと思いました。

そんな大事なことを、かやちゃんという素敵な方から学ぶことができて本当に有難かった~

また宝物となる体験をひとつ積み重ねることができました✨

1日目・かやちゃんと♡


1日目、最初の呼吸を整えるワークでの気づき。

「私が今こうしてリラックスできるのは、この場に安心できているからだ。
この場は日常とは違う、ワタシと出逢う場、そんなチャンスの場。
ここでは自分を抑えず、スルーせず、表現できる。ここは私にとってそんな場」

そんな気づきの体感が起こって、

今ここ、そんな場に出逢い、ゲシュタルトを通じてこうした繋がった仲間と共に在れることに感動し感謝しました。

生きる歓びって、こういう体感に出逢えることのような気がする。

今すでに、やっぱり、私はこの上ない幸せの中にいる✨

大好きな仲間と一緒に♡


「赤ちゃんから生まれ出るワーク」は、もうただひたすらに楽しかった(≧▽≦)

最初、寝転んで赤ちゃんになった時は、「どうやって生まれ出たらいいの?」って思考が働いていたけど、赤ちゃんに成りきっていくうち、段々と動きたくなり、触ってみたくなり、身体を起したくなって、這って、立ち上がって、手を差し出して、歩いて、触りまくって、蹴って(笑)ハグして。

全身でこの世界を遊んでいる感じ♪

それがもうめちゃくちゃ楽しくてたまらなく楽しくて仕方なかった!(≧▽≦)

赤ちゃんって、日常がこんなにもミステリアスでパラダイスでプレイフルなんだー!って驚きと感激がいっぱい溢れました。

このワークで気づいたことは、「私は好奇心がすごくある」ということ。

好奇心でしか動いてなかったもんwそんな自分にびっくりでした。

これが私の本質のエネルギーなんだなぁって感じました。

そして、散々遊んだ後、「ぬくもり」にふれ、私は自然とそのぬくもりを抱きしめていました。

人間というぬくもりから安心を感じ、活動のためのエネルギーが新たに充電されていくのを感じていました。

「安心があったなら、人は自由に生きていける」

「安心があってこそ、冒険する意欲と活力が湧く」

それを体感で、あらためて知ることができました。

ワークを共にした仲間のふたりに感謝。

「誰かにとっての、大切な人にとっての安心基地という存在でありたい」という想いがさらに増しました。



かやちゃんからは、

〇ゲシュタルト療法における現象学と実存主義哲学

について学びました。


現象学と実存主義哲学は、実は最も身近な理論であり、ファシリテーターがクライアントと関わるための最も重要な在り様の基礎となるもの。

セッションにおいてはもちろんのこと、日常においても大事なこと

人とかかわる時の根本的な前提を教えていただいたと感じています。


人は案外、自分の感じていることを感じられていない。

その事実に体感で出逢い、一瞬愕然としました。

私が「感じている」と思っていたことが「解釈」だった。。

私以外の仲間も同じような反応だったから、きっとほとんどの人が自分の感情というものを実は感じられていないってことが普通に起こっているんだろうなぁと想像できました。

そして、だから、悩むんだよね。


あるものを、あるがままにみることができないから、悩む。

自分の解釈で、人は悩んでいる。

解釈で生きることばかりやっていて、自分をちゃんと感じられていないから

だから、悩む、のです。



まずその事実を知って、じゃあどうする?のひとつのアイディアが

「解釈は(カッコ)に入れる」というもの。


人はどうしても解釈してしまうから、それはもうしょうがない、それでいい。

「私はこう思う」「私はこう思った」「私にはこう見える」「私はこう見えた」

そんな解釈はとりあえず(カッコ)にいれて、人と繋がるということ(記述主義


ただ目の前の人に興味をもち、今ここのあるがままのその人を感じていくこと。

そのうえで、

自分自身の心、身体に起こる、湧き上がるものを自分自身も実存として感じとること。


それを実践するには、日々、自分が今何を感じているか?に気づき、その感情をちゃんと感じてあげるプラクティスが必須だなぁって思いました。


自分の感じていることが感じられるようになっていくほどに、目の前の人と「解釈」ではなく「人間」として繋がっていける、そんな風に感じました。

やっぱりまず自分なんですね。

(カッコ)のことをエポケーと言います😀



哲学者サルトルの有名な言葉
「実存は本質に先立つ」


また今ここで出逢うなんて!(初めて出逢ったのはこの時
私にとって大事な言葉なんだなって思い、あらためて心に留めました。

私は今、ワタシ(本質)、ホントウ(気づき)に出逢うお手伝いをさせていただいているしね。


外側に真理(本質)を求めるのではなくて
自分の内側にある真理(本質)を。

「真理は主体性にある」(主体的真理)



哲学者キルケゴールは、「神」を知りたかった。
でも、なかなか知ることができない。。と諦めた時、神と繋がった。

「神と繋がった」←キルケゴールの主体的真理、誰にもとられないもの。

その話を聞いてふと思ったのは、「リーラ」は私の本質であり主体的真理だということ✨


主体的真理とは、自分が感じて気づいたこと。

その主体的真理を尊重し、その人の実存だとみる


私もそんなファシリテーター、ひとりの人間でありたい。

日々、自分と繋がることを怠らず、精進あるのみ🌈



今回は、ワークをさせていただく機会がもてました。

ゲシュタルトのいろんな仲間に「それは何かあるね」「それはワークするやつ」「そういうのが意外に大きな気づきがあるんだよ」って言われていたことをテーマにしました。

それは「キュウリが嫌い」ということ。


は?って感じですよねw

私自身も、別にキュウリを食べたくなりたいわけでもなく、それでなにか不都合だったり悩んだりしているわけでもなく、だから、それをワークにかけていいの?っていうのがありました。

そんなくだらないこと、ワークしていいの?

何の意味があるの?そんなんでいいの?ってね。

でも、「それでいいんだよ」っていろんな方に言われるし、
キュウリにまつわる話をいろんな人に聞かれ話すことが多いという現実があるし

実際に「スカイツリーがなんか気になる」っていう大先輩ヒロさんの日常の些細なことをテーマにワークをしたのを見させていただいて、それが素晴らしい気づきに繋がったのを体感しているし、

そういう一見なんてことないようなテーマのワークを、私自身で体験してみることって大事だよなぁって思い立ち、今回、天におまかせ~でジャンケンに賭けてみました。そしたら勝った(笑)

実際勝ったら、「本当にいいのか?」ってざわざわドキドキしてきたけど、
結果、頭では計り知れなかった想像したこともなかった展開、思いもよらぬ気づきが起こったのです。
まさに神様の采配だったなって思う。



小学生の頃、給食で冷麺が出てその中にキュウリが入っていたんですね。

そもそもキュウリは好きではなかったのに、そのキュウリがいつも以上に青臭くて、鼻をつまんで食べようとしたところ、男の子たちが私に向かって「河童のエサ食べてる~!」ってひやかしたのです。
そして私は冷麺を吐いてしまった。

その体験がトラウマのようになっていて、キュウリをみると、その匂いがすると、その時の体感覚が蘇り、気持ちが悪くなって不快でしかなくなる、そんな感じでした。

その話をかやちゃんにして、いろいろ話をしていたら、

ハッ!!!っとして

「私、河童に会ったことがある!会ったことがあるんです!」って口をついていました。

そう、子どもの頃、私、河童に会ったことがあるんです。


信じられますか?


信じてくれますか?



こんな感じで、河童、見たんです↓

仲間がワーク見ながらイメージ画描いてくれてました😆


子どもの頃、河童を見たこと、お友達に話したんですね。

そしたら笑われて「そんなことあるわけない」って否定されたんです。

それで私、その記憶を無かったことにしたみたい。蓋したみたい。

なぜって、今この歳になるまでほんの少しもそのことを思い出すことがなかったから。

そして今この時、ふと、ハッ!っと思い出した!

そんな自分に、気づきに、自分自身が一番びっくりでした。

こんなことがあるんだ~そうだった~って。


ブログにも少し綴ってます↓


かやちゃんは、その体験を大切にひろってくれて、一緒に感じてくれました。

まさに現象学の3つのルールのひとつである「水平化・平等化」を体感させていただいたなぁって思っています。

ワーク中はかやちゃんのその在り様が自然すぎて気づかなかったけど、ワークが終わった後、それが何より嬉しかったって思い、じ~んとしました。

子どもの頃、信じてもらえなかったこと、河童を見たなんて信じがたい嘘みたいな話を、普通に聞いてくれて、興味を持って聞いてくれて、大事にしてくれたこと、信じてくれたことが、ものすごく嬉しかった。

その人の信じるものをジャッジせず、共に信じ感じてみる

そんな在り様の人と今ここを共にする体験が、どれほど嬉しくて、ゆるされた感覚がひろがって、自分を肯定できて受容できて、自分の人生に感動できることか、、それをあらためて実感することができました。

かやちゃん、本当にありがとう✨

私もそんな人でありたいって心底思いました。


河童さんを降臨させた黒椅子。
この写真をみると、河童さんの姿と、河童さんになった時の体感を思い出す↓

私の大事なアンカーになりました✨

ワークでの河童さんとのコミュニケーションは、私の宝物になりました✨

あの体感は忘れない、忘れることはないと思う。

仲間からのフィードバックで「みきちゃんの中に河童はいると感じた」って言われたのだけど、ほんと!河童さんはワタシでもあるって感じました。私の内神様かもって感じた✨

だから河童さんを「めちゃカッコいい♡」って言ってくれた仲間の言葉がほんと嬉しかった(*’ω’*)♡


余談だけど、このワークの後、土偶が縁で繋がった片倉史人さんの言葉

「人間が生命を持ってるんじゃなくて、我々は生命に所有されてるに過ぎない」

それをまさに河童さんを通して体感した感じだったから、この言葉に出逢った時、「そうなの!それ~!」ってなった(笑)

この言葉との出逢いも必然で、「その体感はホントウだよ」って神様から言われたように感じました。

河童さんは、河童なんだけど河童じゃなかったんだよ~

外側は緑だけど、中身は透明だった。

透明を感じている時、無な感じで空な感じで、自然と一体を感じました。みんな一緒、ひとつって感じた。

私(河童さん)の輪郭が世界と溶け合っている感じ。不思議な感覚。。忘れない。

キュウリもね、食べなかったんだよ~w

「僕はキュウリは食べないよ」って河童さんに言われたw

そして

「周りの人の言うことを信じるな。鵜呑みにするな。自分で確かめろ」って言われた。

その言葉は、そのまんま、今の私が意識して気を付け大事にしていることでもあるから、やっぱりそれが今の私には大事なんだなぁって思いました。河童さん、ありがとう。

でね、

「どうしたらキュウリを食べられるようになりますか?」って聞いてみたら

河童さん、「わからん」ってさ(≧▽≦)

そりゃあそうだよね、食べたことないんだしw

そして「人間も大変だな~」って言ってたw


そんなこんなの体験、体感を十分経験した後、かやちゃんに「今、キュウリを思ったらどう?」って言われてキュウリをイメージしてみたら、、

「キュウリはただのキュウリだった」という驚きの体感が起こった!

そう、ただのキュウリ。

その事実がそこにあるだけって感じで、青臭さも、気持ち悪さも何も起こらず、不快もなく、、

そしたら、ふっと「キュウリは何も悪くない。悪くなかった~」っていう気づきが起こり、泣きました。。

余計なものをキュウリにひっつけて、勝手に悪者にして、勝手に嫌悪し邪険にしていたのは私。

キュウリはいつだってキュウリでしかなかったのに、って。

「ごめんなさい~」って泣けたの。。


そもそも今回のワークも、キュウリでワークとかいいの?って、それも勝手に私がジャッジしていただけ。

実際やってみたら、素晴らしい体験、体感ができて、想像もしていなかったミラクルが起こった!

仲間からのフィードバックでも思わぬシンクロも起こりまくってビックリだったしw

それもこれも、私の勝手なジャッジでワークをしなかったら体験できなかったこと、起こらなかったこと。

そんなことを振り返った時、ほんと解釈って可能性を狭めるし、「ジャッジは、もったいない」って思いました。

今ここで、気になること、思い出すこと、思っていること、感じていること、それこそが大事で、それらに良い悪いはないのだということ。

痛いほどに実感しました。


クールで、カッコよくて、崇高な私の内神様の河童さんに出逢えたのは、かやちゃんのおかげ。

本当にありがとうございました✨

河童さんワークの後にパチリ✨



ファシリテーターはクライアントの提示したことの中で興味のあることだけを聞くのではなく、すべてを聞くこと。

クライアントに委ねるということ。

そして、自分が感じていることをクライアントに伝えること。

解釈ではなく、感じていることを伝えることで「我ー汝」に成り得る。


河童さんでのワークでは、それをまさにクライアントの立場で体感できました。

とっても貴重な体験ができたことが有難い✨

それは、仲間のみんなも、私にゆだね、共に楽しみ、感じ、ただそのままにそこにいてくれたからこそ。

みんな、ありがとう✨

ゲシュタルトベーシック10期メンバー♪



みんな、すべてを、みたいようにみてる。

みんな違うから、この世界は面白いんだよね。

だから「解釈」も悪いものではない。

「解釈のやりとり」を楽しめたら、楽しんでしまったらいいんだよなぁって思います。

そして、

私は、私のみたことを、みていることを、そのままにゆるし、認めてあげること。

それがとっても大事って思います。


「自分が感じていること」

それは自分で意識して掘り下げないと気づけない、感じられないもので、

せっかく気づいて、感じられても

感じていることって、なかなか言葉では表現し尽くせないから、ほんともどかしい。。

でも、自分さえ、ちゃんと気づいて、感じて、わかってあげられていたなら、それでいいんだよなぁってあらためて思ったし、

そのもどかしさを常に感じているから、私はセックスを大事にしているんだなぁってことも再確認しました。

もどかしさを、感じ合うことで伝えたい、伝え合いたい。

それがセックスでは可能だから、私にとっては大事だし、大事にしていることなんです。

私にとっての大事なものをあらためて大事だと思えたことも嬉しかった♡


最後に、

主体的真理には「責任」が伴うということ。

かやちゃんが度々おっしゃっていました。

だからって、好き勝手やっていい、何をやってもいいってことではない。

そうだな~って深く感じるところがあって、今の私に必要な言葉だと受けとりました。


「主体的真理と責任」

この2つはセットで、この胸に留めておこうと思う。

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この記事を書いた人

ワタシ開花カウンセラー/地球の勇気づけヴィーナス

神奈川県在住・一男一女の母。

公立小学校教員として10年間勤務の後、流産を機に退職。

専業主婦として子育てに専念する日々。ごく普通に幸せだった日常にまさかの出来事が起こる。それは人生最大の困難ともいえる夫婦の危機だった。

その事象をきっかけに、パートナーシップ・アドラー心理学・潜在意識・脳科学・量子力学・カウンセリング・ゲシュタルト療法等を学ぶ。

学び知ったことを実践し行動し様々な気づきを経て、人生最大の困難からたくさんのギフトを掴むことができた。

その経験を生かし、2016年5月から、夫婦問題で苦しんでいる女性のためのカウンセリング、勇気づけELM講座等を始める。

2018年10月、日本アマナ性共育協会を卒業。アマナティーチャーとして、大人の女性向け性共育講座・親から子への性共育講座を開催する。

実践型性共育講座アマナレッスンでは「心と身体で繋がる、愛し愛されるパートナーシップを」「性を知ることは、命を肯定し輝かせること」をモットーに、リアルな体感を伴うレッスンで性・セックスに悩む女性をサポートしてきた。

タントラの世界でさらなる性の探求、1年間にわたり「一人恋愛」を実践し、男性性・女性性の統合「ふたりでひとつ」「すべてはワタシ」「ワンネス」を体感する。

2020年12月。今までの学び、気づき、体験の集大成としてオリジナルプロブラム「女神Mind&Bodyメソッド」を創造。

「女神Mind&Bodyメソッド【アドラー×性×スピリチュアル】」では、
『頭』『心と身体』『魂』三位一体にバランスよくアプローチをし「つながり」「体感」「気づき」を大事にしながら、あなたのホントウをひらきます。

『様々な「しばり」から解放され、自由に、軽やかに、個を生きる』
そう望んでいるあなたのチカラに、ひとつのきっかけに、私がなります。

共に、生きましょう。


*夫婦再生パートナーシップコース全期修了
(ベーシック・アドバンス・マスター2巡)
*アドラーカウンセラー養成講座修了
*アドラー心理学勇気づけELMトレーナー
*愛と勇気づけの親子関係セミナーSMILEリーダー
*日本アマナ性共育協会オーナーズプログラム修了
*NLPマスタープラクティショナー
*だいじょうぶカードメソッドマスター
*一人恋愛メソッドプログラム修了
*ゲシュタルト療法ベーシック修了
*タントリックヒーラー

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