こんにちは
ワタシ開花カウンセラー
リーラ ミキ です。
2022年9月 晴天🌞
ゲシュタルト療法・ベーシックコース
スタートしました✨
毎月2日間ずつ、来年の9月まで1年間。
ゲシュタルトをどっぷり学び、知り、感じ
縁あって出逢えた仲間との体験を通して、
気づきという宝物にたくさん出逢っていきたいと思っています。
初めの一歩、
現実的にスタートした今、
ドキドキワクワクしかない!(^^)!
楽しみます♡
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ゲシュタルトベーシックを受講するのを決めたのは、以下の3つに対する期待、好奇心が生まれたから。
・同じ仲間と1年という長い期間を通じて学び、気づきのプロセスを体験できる
・8人ものベテラン講師さんの多種多様なゲシュタルトアプローチ、理論の理解、視点に出逢える
・ゲシュタルトのワークに、たくさんふれることができる
それらを自分に体験させてあげることの意図は、
・もっと深く自分とコンタクトし、自分のホントウと繋がりたい
・蓋をして感じないようにしてきた、隠して閉じ込めてきた感情に気づきたい
・さらに感覚を信頼することができ「ただ私であること」に安心できる私になりたい
・私オリジナルのゲシュタルトセラピーのカタチを創造したい
**
ももちゃんが、あるワークの中で言っていた言葉。
「現実の中で、現実なことをするのが大事」
「いくらここでワークして気づいても、現実に生かさないと意味がない」
ほんと、そうだなーーーって、深く納得。
ワークは、現実に生かされてこそ。
(ここで言うワークとは、ゲシュタルトセラピーのこと)
ベーシックの場で、ワークして、癒されて、解放できて、気づいて、それで終わりではなんの意味もない。
なぜなら、私たちは、現実の世界を生きていかなければならないわけで、現実の場で健康的に生きていくことが人生の主軸であり表舞台なのだから。
ももちゃんが「ここは、傷ついた者同士、慰め合って、傷のなめ合いをするところではない」って言っていたけど、私はそれがしたいわけでも、それを期待しているわけでもない。それが本意ではない。
だから、この始まりの時に、ベーシックに参加するに至った決め手、意図を書き出してみた。
忘れないように。常に心に留めておくように。
なんだかあらためて、軸が入った感じ。
ゲシュタルトベーシックでの学び、体験、体感、気づき、、
そのすべてを、今ここの私、今ここの現実に生かし、今ここの私の人生をより豊かに感動と感謝と共に楽しめる♪
そこに繋がる1年にします✨
自分の意思で「決める」って大事。
決めないから、ブレる。
決めたなら、迷わなくなる。
あなたは
自分の人生を、
今ここの在り方を
自分の意思で、決めていますか?
初日の午前中は、ももちゃんのゲシュタルトの基本的な理論とアプローチについての講義。
「ゲシュタルトは、理論より実践。
言葉より、体感を通して理論を学んでいく。
基本的なことは教えるけど、学ぶのはみなさん。
ゲシュタルトが役に立つか、経験値(ワーク)が大事。」
そんなももちゃんの第一声から始まりました。
ゲシュタルトの理論は、もう何度も聞いてはいるけれど、毎回新鮮な感覚と気づきがある。
そしてやっぱりゲシュタルトは自分に合っているなぁ~と毎回腑に落ち、やっぱり好きだなぁって感じる。
ゲシュタルトをご縁ある方に伝えていきたいって思いがムクムク湧きおこってきているのも事実。
いつか、なんかやりたいなぁ~
他の心理療法がアプローチだけなのに対して、
ゲシュタルト療法は、心理療法の前に「生き方」が大事!という立場をとります。
なので、ゲシュタルトには生物学(生きものとしての原理)と哲学があるんですね。
そこが私のゲシュタルトが好きなところでもある。
今回は以下の内容を学びました。
〇生物学
・有機体・自己調節・恒常性の原理・気づき
〇哲学
・現象学・実存主義・変容の逆説的理論
〇心理学
・ゲシュタルト心理学・図と地・場の理論
〇アプローチ
・対話(我-汝)
講義の後は、ひたすら、ワーク。
2日目なんて朝から夕方まで、ずーっとワーク三昧。
こんな贅沢な1日をすごしていいのかなって思ったよ。
気づきの連続で、私の内側はぐるぐるゴニョゴニュざわざわドキドキ、、いろんな感情、感覚が渦巻いて、うごめいて、何とも言えない感覚をめいっぱい体験しました。
9名の仲間のワークにふれ、
それぞれにワークのテーマは違い、でも、それぞれのワークすべてが私とシンクロして、
あ~やっぱり、この仲間との出逢いは必然なんだと感じました。
今の私に必要な出逢いしか、今ここには起こっていないし、起こらないんですね。
あれは私にとって大きな出来事だったし、相当ダメージのあったことだったんだなぁって感じたり
やはり自分が世界を創り出しているんだっていう気づきだったり
誰の許可もいらない、自分の好きなように自由に生きてみたらいいって思えたり
私の目をつかって相手を見れば怖くないんだよなって納得したり
子どものことをいつまでも子どもとして見るのはやめようと決められたり
受けとれない言葉は自分が飲み込めるように咀嚼して受けとればいいんだと知ったり、、
たくさんの気づきに出逢えたのだけど、
今の私に必要なエネルギーは「父性」なんだなという気づきが、今、私の真ん中で強く感じられています。
今、軌道修正、原点回帰の実行目前にいる私だからこそ、それを強く感じたのかもしれないけれど、
それは私の課題に繋がることでもあり、もしかしたらファザコンなのかも?っていうのもあるw
これからの気づきに解明を期待しよう(≧▽≦)
父性のエネルギーを今回たくさん感じ、受けとり、内なる父性にアクセスできたように思うから、この感覚と共に、復活のスタートを迎えようと思う(これこそ現実に生かす、なんだよね、きっと)
この日、私もじゃんけんに勝ち、ワークをしてもらうことができました。
この時に「確かめたい」と思ったことをワークしてもらいました。
結果、、
ぼろぼろに泣きましたw
私、ももちゃんのワークでは毎回泣いてるな、、
しかも、始まってすぐに涙が溢れ出して止まらなくなる、、
ももちゃんとのワークの時間は、安心しかなくて、
だからこそ、勝手にゆるみ、自然とひらいてしまうのだと思います。
私もそんな、クライアントさんにとってのリソースと成り得るセラピストになりたい。
*私自身のワークの気づき*
怒っていいのだということ。
ちゃんと怒っていい。
私は「怒り」を止め、隠し、感じないようにする癖が身についている。
身体で感じた感覚を採用していいし、表現していいし、素直であっていい。
頭と心は納得できていても、身体が納得できていない、身体は怒っている、ということがあるのだと体感。
私はあの時、侮辱されたのだ。プライドが傷つけられたのだ。
侮辱、プライド、という言葉がピンときていない私に、ももちゃんは繰り返しそう言った。
「あなたは侮辱されたんだよね。そしてプライドが傷つけられた」
そうなのかもしれないなぁ、、と今は思えている。
そして私は「本当は」ものすごく傷ついたし、悲しかったのだと。
私はいつも「お母さん」になって、ごまかしてきたみたい。
そうやっていつも、止めてきた。
あの時も、そうやって止めただけだったんだ。
「本当はこんな風になりたくなかった」
それは、頭の声。
私のホントウの声ではない。
私はやっぱり「いい子ちゃん」なのだ。
罪悪感は持ってていい。
無くならないから。
それは、植え付けられたいろいろが作用して、そう感じているだけ
だから、罪悪感なんて関係ない。
そこに、ワタシはいない。
「あなたはどう生きたいの?」
ももちゃんに何度も問いかけられた。
究極、それなんだよね。
それしかないんだよね。
「私はどう生きたい?」
「私はどう生きたいの?」
今や、常に感覚にコンタクトし、
今ここの感覚に、素直に正直にそのままに生きられるようになってきてはいるけれど、まだまだなんだろうな、、
私という人間は、なんて面白い奥深き生き物なんだろうね。
謎解きをするかのように、この1年、私という人間にコンタクトし続け、さらにワタシを今ここで生きられるようになりたい。
「私はホントウは、どうしたいの?」
「私は、ホントウはどう生きたいの?」
永遠に答えの出ないであろう、この問いを、
常に自分にフィードバックしながら今ここを生きると、
あらためて決意した。
そういえば、
私のワークで、ももちゃんに、
「女は50歳から”もう一花咲かせたい”と欲求がでてくるもの。まだまだこれからだよ」
って言われた(*’ω’*)
まだまだ、咲かすよ~🌹
一度きりの人生
後悔なきよう、咲き乱れます♡
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